今の若者は○○が出来ない!なんて本気で言ってる?

基本的に「最近の若者は〇〇出来ない」言われていることは「必要ないからやっていない」だけだ。
昔の人たちはスマホを使えない。当たり前だ、スマホがなかったからだ。
今の人たちはパソコンよりもスマホを使う。当たり前だ。スマホが普及しているからだ。
本気で嘆いている人なんて流石にいないだろう。そう思いながらも、その手の記事や番組が多いので一応書いておこう。
「常識は時代によって異なる」という常識
今の年寄りが若い時に、スマホが使えただろうか?なんと昔の若者はスマホも使えなかったのだ!とんでもない!だから古い人は駄目なのだ!
…おかしいだろう。これと同じことを、考える力の無い大人が言っている。
想像力がないのだ。歴史や時代背景、流行り廃りや教育、科学の発展など、様々な観点から見れば、年代によって常識が異なるのは当然の話。
自分がもしこの時代に生まれていたらどうだろう?身の回りには何があるだろうか?周りの人たちは何をしているだろうか?
本当は、そういった想像力をもつことが大事なのだ。
おそらく、これらを本気で信じてしまう人は世代を超えた関わりがないのだろう。普通に友人たちがいれば、20代から70代まで友人や何らかの交流があってもおかしくはない。
その中で、お互いの文化を知りあったり、学び合うことだって多くあるはずだ。
そのような関わりが全くないから、とんでもない偏見を持ってしまう。
日本人と合ったことのない外国人が、日本人を「スーツを着た角刈りの小太りの人間」あるいは「刀を持ち歩くサムライ」だと思っているようなものだ。
実体を知らないから、「最近の若者」という範囲の良くわからないくくりでレッテルを貼ってしまう。本当は無知だからこそ、わかったつもりになってしまう。
分断社会とはよく言うが、関わりを持つことがない人たちが、「よくわからない人たち」になってしまっている。
これは社会としてあまりいい傾向ではないだろう。
全ての世代に必要な「理解」と「寛容さ」
もちろん、大人たちだってそんな勘違いな人たちばかりではない。中には想像力のない人もいるが、思いやりを持ち、まじめに働く人たちもいるのだ。
そしてそれは、若者たちも同じである。
中には他人を傷つけるしょうもない人間もいれば、人に優しく出来る人もいる。
それを理解することが、あるいは受け入れられる寛容さが、今の私たちに必要な事だと思う。