人に教えられる人はなぜ記憶力がいいのか?

中国のことわざで「教えるは学ぶの半ばなり」(おしえるはまなぶのなかば)という言葉がある。このことわざは、人に教えている状態はまだ学んでいる途中にいるという意味を持っている。
記憶すること
ただ何かをノートに書き取ったり、先生の話を聞いてメモしているだけでは本当の意味で学んだとは言えない。せいぜい「ちゃんと話を聞いていますよ」というアピールにしかならないだろう。
実際に「メモを取りなさい」と言われるのが面倒だからメモを取っているという人も少なくない。記憶のためにやっているというよりは、相手へのごますりや頑張っているアピールとしてしか使われていないのだ。
物事を記憶するときには、余程衝撃的なものでもない限り、1度の体験だけで記憶することは困難だ。少なくとも聞いたそばから何かに書いて行っても全く記憶には残らない。
見聞きした内容を反復し、頭の中で整理して、その情報をアウトプットすることによって、はじめて記憶は強固なものとなる。
脳が認識するもの
脳は危険なことを、あるいは何度も使用されることを「重要だ」と認識すると言われている。
例えばトラウマのような嫌な記憶はなかなか忘れ去ることが出来ない。
嫌な記憶とは自分にとって脅威となるような危険な記憶。恐怖の感情によって脳の偏桃体という部位が記憶を増幅し、通常の記憶より強く覚えてしまうのだ。たった一度言われただけの言葉でも、忘れ去ることが難しいのはこれが理由だ。
また何度も反復された記憶は、繰り返されるごとにその繫がりが強化されていく。
例えば、ポケモンのゲームに熱中している小学生は、いわゆる暗記や勉強をしていなくても何百種類ものポケモンの名前や特徴を覚えているだろう。
毎日ポケモンのことを考え、毎日ゲームをすることで自然と覚えてしまうのだ。彼はきっと授業中にもポケモンのことを考えているかもしれないし、とにかく思い出す機会が多い。
数百種類に渡る固有名詞とその特徴を暗記することは、普通の大人にとってかなり大変なことでもあるが、ポケモン博士のような小学生は自然とそれをやってのける。
教えることで学んでいる
そして、人に何かを教えるという行為は、自分の学んだ情報を反復し、整理して、相手に伝わる形に言語化するというプロセスを必要とする。
自分が本当に理解していることでなければ相手には教えられないし、雑多に収納された情報をただひっくり返したところで、相手には何も伝わらない。
人に教えるためにまず自分がしっかり学び、伝えるべき情報をまとめて、相手に理解できるよう形にする必要があり、その過程が、教える本人に対しても大きな学びとなるのだ。