自立という間違いに孤立させられないために

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人は一人では生きられない。

本当の意味での自立とは、上手く人に頼ることが出来る状態を言う。

「自立」を何でもかんでも一人でできることのように思い込まされて、何でも一人でやろうと努力しても、苦しいだけ。

社会は支え合いによって出来ているという当たり前の事実を無視しているからだ。

すべて自分でやらなければいけない状態は、自立ではなく孤立という。

実は、全てを自分でやろうとすることは自立ではないのだ。

この不条理な論理を社会で押し付けられる人が多いのは、様々なものに支えられているこの社会の在り方を知らないのに、分かったつもりになって「間違った自立」を教え込むからだろう。

そうしてめちゃくちゃな論理の中に押し込まれた人たちが社会から孤立してしまう。

何か悩み事があっても一人で抱え込み、問題に巻き込まれても誰にも相談できず、一人で何とかするべきだと思い込む。

問題があるなら人と共有した方がいい。何かを悩むなら人と一緒に考えたっていいのだ。

頼ることがいけないことだと思わされていると、その反発として極端な依存が起きてしまう。突然舞い降りてきた頼れる対象にすべての期待を浴びせてしまう。

誰かを押さえつけ自分の為だけに存在を求めるような支配はいけないが、頼ることは全く悪いことじゃない。

そもそも人間は一人で存在していられるような生き物ではない。

人は色々な他者と助け合いながら社会を形成して生きている。自分一人で何かを成し遂げている人なんて存在しない。みんな頼って生きているのだ。

本当は仕事だって社会だって何だってそうなのだ。

むしろ成功している人ほどたくさんの人に頼っているものだ。レストランを開いているオーナーは、そこに来ていくれるお客さんや、友達を連れてきてくれる人、そこで働いてくれる従業員や、お店を綺麗に清掃をしてくれる人、たくさんの人に支えられて生きている。

これを全部自分でやろうとしたら過労で倒れてしまうだろう。

社会で自立している人ほど他人に頼っている事実を、残念なことに多くの大人は知らない。

自立している人たちは「自分で出来ることでも、人に頼った方が良いことは人に任せる」ことを本当に上手くやっている。

自分にできる得意なことで他人に貢献して、他の部分で他人に助けてもらっているのだ。

そういう人たちの人との関わり方を見ていると、頼るとか助けてもらうという言葉がまったく重苦しいものではないと気付く。

誰かに過度な期待をして奉仕してもらう様な重苦しさは、きっと「間違った自立」と共に植え付けられたイメージだろう。本当は、少し手伝ってもらったり、また別の人に相談したり、他の仕組みに頼ったり、もっとライトな関係のものだ。

例に出したレストランのオーナーのように、人は自分一人で何かを成し遂げているのではなく色々な人に頼っているものだから。

ご飯を作るのが得意だから人にご飯を作ってあげたり、話を聞くのが得意だから話を聞いてあげたり。心理の話が苦手だから得意な友人に聞いたり、専門家の本を読んだり。

何だっていい。貢献できる部分で貢献すればいいし、出来ないことは人でも道具にでも頼ればいい。小さな関わりはそうして初めて生まれてくるだろう。

色々なものへの頼り方がわかってくれば、適度に頼れるようになってくるものだ。人が困っているときに貢献し、自分が困った時に適切な援助を求めることが出来る。その状態こそまさに社会の中での自立と呼べるのではないだろうか。

人は頼りながら生きていくものだ。全てのことを自分一人でやる必要なんてない。

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