ゆとり教育は失敗していない

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ゆとり教育は失敗と言われているが本当にそうなのだろうか?

ゆとり教育を受けた大学生や新社会人と関わって思うのが、優しい子が多いということだ。みんな、良いことがあったらシェアして協力できる能力が高い。

もちろん、中にはしょうもない行いをしてしまう子もいるが、それは他の世代にも言えることで、特段に多いと言う印象はない。むしろ、事件数の減少などをみるに、変な行いをする子は少ないのだろう。

ゆとりを、持つことは大事だ。競争して、ギスギスして、足の引っ張りあいをした先にあるのは組織的な損失でしかない。

足を引っ張れば、比較的には優位に立てるが、全体で見ればただのマイナスでしかない。競争とはそういうものだ。

そもそも、ゆとり教育が失敗と言われるのは他のアジアの国に学力で追い付かれたからだが、成長し続ける途上国に成長を終えてしまった国が追い付かれるのは当たり前の話でもある。

「常識」がないと言うが、どの世代も若者は「常識」がない。ここで言う「常識」とは、世間でいう「常識」のこと。

つまり、自分たちが若かった頃の基準のことを言う訳だが、別の偉大に生まれたのだから同じ常識を持たないのは自然なことだ。

「常識」がないと言う人たちにも、若い人たちの「常識」がないのだから。

どこか、最近は短期的に見すぎなの傾向があるように感じる。それどころか「みんなが言ってる」だけでそう信じ込んでいる人も多い印象だ。

そんな、感情的な支持を受ける脱ゆとりの方向は本当に正しいのだろうか?

日本は脱ゆとりの方向に向かおうとしているが、北欧の教育先進国であるフィンランドは、ゆとりの方向に向かっている。

それぞれの自主性を高め、むしろ知識の内容は減らしている。日本は、その真逆、逆行しようとしているようだ。

本当に知識を詰め込み試験のテストで勝つことが正しいのか、もう少し考える必要があるだろう。

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