横浜市教育委員会「150万円おごってもらった」周りの大人と加害者の共通点

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どうして被害者の声を受け入れずに加害者の声を鵜呑みに出来るのだろう?原発非難生徒に対しての配慮がまるでないように思える。

自分に都合が良くなるように嘘がつくことをどうして想像することが出来ないのだろうか?

大人が自分の都合で「いじめなんてなかった。だから私に責任はないし問題を無視していない」と言うのと同じで、加害者だって自分の都合のいいことを言う。「恐喝なんかしていない。おごってもらっただけだから何も悪いことしていない」そうやって自分の立場を守ろうとする。そんな加害者と大人は同じ穴の狢だということに気付くことができないのだろうか。大人が自分の都合のいいように情報を汲み上げるように、加害者も自分の都合のいいような言い訳をする。

結局、彼の周りには彼のことを考えてあげられる人が誰もいなかったのだろう(親の心中はお察しするが)。周りの子供も周りの大人も、我が身大事で誰も真実を見ようとはしない。都合の悪い恐喝という事実を見て見ぬふりをして、平然と暮らしている。許されることではない。

原発という大人の都合により非難させられ、保身という大人の都合により心に大きな傷を負わせられる。それではあまりに理不尽だ。

誰も彼の人生に与える影響に責任を取らない。自己責任だ何だと言いながら他人にばかり責任を押し付ける大人たち。誰も自ら責任を取ろうとはしない。そんな社会で本当にいいのだろうか。

少なくとも誰かが理不尽を受けることを見過ごしてはいけないと思う。それを認めないことによって新たな被害者を産まないためにも。問題を見て見ぬふりしてより大きな問題に成長させてしまわないためにも。人にはその責任がある。

加害者と周りにいた大人は同じだ。加害者も教員たちも教育委員会も何も変わらない。同じ思考回路を持っている。彼らの言い分はこうだ。

「自分に都合の悪いことは何も起こっていないんだ。だから自分は何も悪くない。だって悪いことなんてそもそも起きていないんだから」

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