どうして怒られるのか?仕事で自信を失った若者に伝えたいこと―

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上司とか先輩に怒られたりして、自分に自信を持てなくなることがあると思う。

仕事に失敗したり、人間関係でつまずいたり、ゆっくり自分のこと考える時間がなかったり。そういう人も多いらしい。でも、そうすると、やっぱり安定した気持ちを持つことは難しい。

どこか不安になったり、自分のことを好きでいられなくなることもあるかもしれない。

でも本当のことを明かしてしまうと、怒られることと能力は関係ない。自信を失う必要もないんだ。

あなたのために、怒っている人はいない

じゃあ何で、実際に職場で辛く当たられたりするかと言えば、その人の権威付けのためだ。

建前上は「あなたのためを思って」という風に装うが、その建前の底にある腹の内は大抵自分のため。

その人が偉いと思われたいから、尊敬されたいから怒っているだけで、実はあなた自身とは何の関係もない。

もう少しわかりやすく言えば、いわゆるマウンティングをしてるから、怒ったり怒られたりするわけだ。みんな自分の為に怒っている。

たまに勘違いしている人がいるが、仕事を教えるのに「怒る」必要はない。大人なんだから論理的に説明すればいい。怒るってのは基本的に幼稚なコミュニケーション。論理を無視して、相手をコントロールするために使用される。

例えば、子供は自分が欲しいお菓子を勝手もらえないと泣き出す。親にお菓子を買わせるために、思い通りするために感情を利用してコントロールしようとする。そこに根拠はなくても、感情的に強引に自分の思いを達成するような、そんな子供のライフスタイルをいつまでも続けている大人も多い。

よく観察してもらえばわかるが、あまり怒られていない人も普通にミスしている。客観的に観察すると、同じミスをしても、対応が全く違ったりするのに気づくだろう。

しょうもないが、事実なんてそんなものだ。人間関係に対して感情的になる人がいるから、感情を利用してマウンティングする人がいるから、それに巻き込まれているだけ。

だから、怒られることと自分の能力は関係ない。

自分の支配から出るのを恐れている偉い人

日々変化していく若い人に、自分の想像通りに成長してほしいと思っている人がいる。

そういう人は、追い抜かれたり、尊敬されなくなることが恐い。

だから自立や成長を口にしながらも、あくまで自分の配下で、自分の想像の範囲内で成長することを望む。そのように教育する。

自分より手柄を立てられる仕事を回すことはないし、悪いことがあれば責任を押し付ける。お前が悪いと。当然ながら、そんな我儘で自己中心的な教育で素晴らしい人間が育成されることはない。

教育者としての能力も信念も全くないにも関わらず、教育者を気取ってしまうことに大きな問題があると私は思うのだが、立場が上なだけで「教育者」になってしまうことも多い。

そんな変な「教育者」の言うことは絶対ではないし、そもそもちゃんとした教育者の言葉だって絶対じゃない。

強制できない尊敬

人間には強制できないことが二つあるという。

愛と尊敬だ。

これを強制することは、お金があっても立場があっても不可能だ。

「これだけお金をあげるから愛して」と言っても、その相手はお金を愛しているから、表面上はいい顔をしてくれるかもしれないが、本人のことは心底どうでもいいと思うだろう。愛してる人が死んだら悲しいが、その人はむしろ死んだ方がお金を自由に使えるから喜ぶだろう。
それを愛とは言わない。

「俺は偉いから尊敬しろ」と言えば、面倒だから表面上は敬語を使ってくれるかもしれない。でも、裏ではその人のことを軽蔑する。偉そうにする人ほど陰口を言われていることは、みんな知っているだろう。尊敬しろと言っても、その人自身のことは誰も見ない。立場が変わった途端に見捨てられる関係を、尊敬とは言わない。

人に教える人間が、「自分が尊敬されたい」と思って自分のために行動してしまうことがあるが、あまりに的外れだ。

どうも自分に自信がない人は尊敬されたがるし、そういった振る舞いを求めてくるが、普通に無視していい。

尊敬されたいなら、その人が尊敬される人間になるしかない。他人の振る舞いは変えることが出来ないのだから。

教えること、教えられること

人には上下はないが、役割の違いがある。

私があなたより先に仕事を始めたのなら、私にはあなたに仕事を教える義務があるが、威張る権利はない。そこにあるのは役割の違いであり、人間的な優劣ではない。

あなたが仕事を覚えたのなら、また次の人に教えてあげればいい。そこにはまた役割が生じる。結局、みんな色々な役割を担いあっていくものだ。たった数年の違いや順番など、些細な問題でしかない。

最後に、同じ大人であるあなたには「教えること」について大事な覚えておいてほしいことがある。

それは、教える側の人間が、教えられる側の人間を尊敬することだ。

尊敬がなければ人間関係は作られず、人間関係がなければ言葉は伝わらないから。

教える教えられると言うのは、実は固定的な関係ではない。私があなたに教えることもあるし、私があなたに教わることもある。年齢が離れていても全く関係ない。いや、むしろ違えば違う程教わることがあるかもしれない。

なるべく大きな視点で物事を見てくれたら、きっと自分や世の中に対する印象は変わるだろう。1つの意組織に居続けると、どうしても視野が狭くなりがちだ。

限定的な価値観で自分のことを否定しないでほしい。なるべく視野を広く持って、色々な人の考えや知識を吸収して、生きてくれたらいいなと思う。

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