真面目すぎる若者に伝えたいこと

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頑張りすぎない方がいい。真面目過ぎる若者を見るといつもそう思う。

今の世の中では「自己責任」なんて無責任な言葉が溢れてるけど、全てのことが個人の責任な訳がない。

もちろん、責任をもって生きるのは良いことだ。自分の選択に責任をもって自由に何かを選ぶことは素晴らしいことだ。

だが、社会の側が個人に責任を擦り付けることがあるのが今の社会の現状だ。あらゆる不正や社会的な制度の不備などはまさにそれだ。

個人だけではどうにもならないことがある。だから社会があるし、組織があるし、人々を支える福祉がある。

それなのに大人や政治家が「自己責任」なんて言葉を使いだしたのは、自分達の責任を認めたくないからだ。自己責任と言う言葉は、自分の責任を逃れるために使われてきた言葉だ。

自分たちの失態のせいではなく誰かの責任にしてしまえば、追及を免れることが出来るから、皆こぞって使い始めた。ただ、思ったより多くの大人が、その安直な言論を使用してしまった。

結果、社会や組織は責任を取らず、問題があれば個を切り捨て生き延びようとする、まるで村八分のように古臭いやり方に退化してしまった。もはやこの社会では誰も責任を取ろうとはしない。

若い人には能力がある。自分の力で何かを選ぶことも、自分自身を変える力もある。私たち大人が今の年になってようやく知ったことを、私たちよりずっと若い今この瞬間に知ることが出来る。

社会は何でもかんでも自己責任だと言って、自分たちの負債さえ若者たちに押し付けてきた。それによって不快な思いをしている人も傷つけられた人もいるだろう。そんなことは嘘だから気にしなくていい。しっかりした大人たちは若い人たちに力があることを知っているから。安心していい。

ひとつだけ真面目な若い人に気を付けてほしいことがある。あまり大人の言うことを真に受けなくていいよということだ。

真面目過ぎなくていいんだ。

この社会の中で、すべてを自らの責任だと考える人はとても真面目だし勇敢な人だと思う。

でも、真面目すぎることは危険でもあるのだ。真面目さは強さでもあるのと同時に脆さでもある。

何かを絶対視してしまうと、視野が狭まり見えないものが増える。人は何かに余裕が無いほどそうなっていく傾向にある。自分に見えていない可能性を忘れないで欲しい。

色々なことを言われてきたかもしれない。色々なことを考えるかもしれない。でもそれは全てではない。

そもそも個人の視野で全て理解できるほどこの世界は狭くない。80歳まで普通に生きても世界の1%さえ理解できないだろう。自分にも上の立ち場の人にも、周りの人たちにも見えていない可能性がある。

今考えていることや周りの人に言われることが全てだと思い込んではいけない。

こうなったら終わりだとか、世間は脅すけど、本当に終わることはない。この学校に入学できなかったら終わりだとか、就活失敗したら終わりだとか、会社をクビになったら終わりだとか言う人がいるが、そんな馬鹿な話はない。

そんなもの乗り越えて生きていられる。人はその能力を持っているから。生きていることだけで何かを成し遂げられる可能性があるから。

努力を努力と思わないことにならいくらでも力を注いでいいと思うが、合わないことなら逃げてもいい。

逃げるのは異なる選択肢に立ち向かうためだ。それは自分の可能性を生かすためだ。それはただの選択だ。

合わないことで努力して2の力で頑張ってもらうより、情熱を注げることで10の力で貢献した方がいい。その方が社会にとって有益だし、それが多様性の価値でもある。

私の言葉を若い人がどう思うかはわからない。どのように生きていくかは本人の選択だ。

だけど、自分の持つ可能性を忘れないで欲しい。それだけは伝えたいと思う。

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