精神科にかかるべきは、仕事で鬱になった人の方ではない

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よく会社や学校で鬱になるとその人が精神科に通うが、精神科にかからなければいけないのは残った人たちの方だと思う。

近頃の「過労死」のニュースを聞いていると、むしろ悪列な環境で鬱になった人の方がずっとまともなのではと感じることがある。

誰かが過労自殺した後によく聞く「あいつが弱かったから」という言葉。

私はこれが本当に信じられない。どういう価値観を持ったら、身近な亡くなった人に対してこのような言葉を吐けるのだろうか。

あなたは、身近な人がなくなったときに上記のような言葉を使うだろうか?

少なくとも、私はそのような発言は出来ない。

身近な人が無くなったら悲しい。

もし自分や雇用している人や部下が無くなったら大きな責任に苛まれるだろう。

その家族や友人たちに対してどのような顔をしたらいいのかわからない。

だが、うつ病患者を量産し過労死をさせるブラック企業では、このような発言はまず見られない。

「あいつが悪かった」

「あいつは弱かった」

「本人に何か問題があったのでは?」

と死者を責め立てる。

どこまでも自分たちの責任は認めずに、まるで関係がないかのように振舞う。

どうしてもこれを理解することが出来ない。死者に対してまでマウンティングする様ははっきり言って異常だ。

私はいくつものコミュニティに属しているが、そんな発言をするような人は一度も見たことがない。もし、そのようなことを言う人がいたら精神科に通うことを勧めるだろう。

人としての心を失っている。

だが、今の社会はそれとは全く逆の仕組みを持っている。

異常な環境に適応し異常になった人々は継続してお金を稼ぎ続け、異常な環境に適応できないまっとうな人が精神科に送られる。

まるで、鬱になった人に問題があったかのように。世間もそう錯覚し、、腫れ物のように扱う。

そこに通う本人たちも「自分が悪いんだ」と勘違いしてしまう。本当は他者を傷つけることさえない優しい心を持っていたとしても、そう思い込まされる。

確かに、劣悪な環境で過ごし疲弊した心をケアすることは必要だろう。だが、それは本人に問題があるからではない。本人の精神は正常に働いた結果、疲れてしまっただけだ。

本当に治療を受ける必要があるのは、人の死すら悲しめなくなってしまったその企業に勤め続ける人たちだろう。問題があるのは環境とそれを維持している人々だ。おそらく、その組織はとっくに腐敗している。自らの体が腐っていることにすら気づけない程に。

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