年下にアドバイスする前に考えて欲しいこと

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「自分が年上だからとすべての上で上回っている」という考えを持たされてしまった人がごく一部に存在しているが、そもそもすべての面で他人より優れるなどあり得るのだろうか?

実際のところ、自分が年上だからと言って「自分が能力や経験など全ての面で上回っている」と考えるのは早計だろう。

自分より経験豊富な他人という存在

私が今日はじめて経験したことを、私より10歳若い人が「私にもそういうことありましたよ。確か3年くらい前に…」と私よりずっと早い段階で経験していることは当たり前にある。

むしろ、その人は私には経験がないものを何十年もキャリアを積んでいるわけで、私の人生の後輩なわけではない。

彼が高校生で15年の人生を生きてきたとしたら、彼は私には知らない経験を15年もしているということだ。その15年は私の年齢から引き算したものではない。それは私が全く持っていない経験であり、勘違いな引き算を元に勝手に見下すのはあまり賢くない。

将棋棋士の藤井七段(この記事を描いた時点で)が、自分より年下だからと彼の経験を語るのはナンセンスだろう。それは自分が将棋の世界で生きた経験がないというだけではなく、彼の人生という意味でも同じなのだ。

本当に自分の方が年上だから上位者だというなら、彼に将棋で彼に将棋で勝ってみればいい。そんなことが可能だろうか?少なくとも私は無理だと思う。私を含めたほぼすべての年上の人は彼に敵わない。だから、そんな妄想を繰り広げれば大恥をかくことになってしまう。

これは、彼のように特別に認められている人だけではなく、どんな人に対しても言えることだ。ずっと卓球をしていた高校生に、決してレベルが高くなかったとしても、私は敵わないだろうし、それが絵を描くことであれ、宇宙に対する興味であれ、サブカルチャーに対する知識であれ、たまたま早く生まれた私が負けることは山ほどあるだろう。

年上というだけで威張っている人が、年上と言うことしか威張ることがない時点であらゆる面で劣っている、と言ってしまったら元も子もない気もするが、実際に劣っている面がたくさんのだ。経験に関してもそれは同じだ。

年齢は能力ではない

世の中に存在する情報をどれだけ小さく見積もっても、すべてを知り経験することなどできないし、そうであるなら、やはり自分という数十億分の一が他の場所で生まれ他のことを学んできた人たちより上回ることなんて不可能なのだ。

せいぜい勝てるのは過去の自分くらい、と言いたいところだが、過去の自分にだって若さや体力、行動力や特定のスポーツの技術などで負けるのが事実だろう。もちろん、勉強を続ければ過去の自分より出来るものは増えていくし、能力的にも優れることができるが、すべての面、というのはどうしても難しい。

そもそも、勝たなきゃいけないと思ってしまうのは、年齢に縛られ過ぎているからだ。未だに年下の上司がどうとか、部下がどうとか小競り合いをしている人がいるが、それがどれだけ意味のあることなのか冷静に考え直してほしいと思う。仕事を遂行する上で、どのような言葉遣いをすることが正しいのだろうか?立場も年齢もコミュニケーションを雑にしていい理由にはならない。

年齢は能力ではない。たまたま自分の両親がその時代に産んでくれた。というだけなのだ。それなら偉いのは両親であって、少なくとも自分ではないだろう。

普通の人は体力で自分より若い人に負けるし、自分が学んでいない知識でも負けるし、自分の知らない世界の経験でも負けるし、自分のやってきたことでもより強い才能に負けるものだ。

他人に勝たなければいけないと思っているそのがそもそもの間違いなのだろう。別に負けてもいい。自分が劣っているなら教えてもらえばいい。それぞれが違いを持つ時点で、すべての面で他人に勝つことなどできない。

人と人が違うのは当たり前で、それぞれが経験してきたことも考えていることも、それを判断する価値観さえも違うのが当たり前なのだ。そうであるなら、年上信仰など意味をなさないことがわかるだろう。人はみな尊いものだし、歳を取っていなくてもその命の価値は変わらない。

相手が誰であっても、どんな立場にいても、相手に対する敬意を失ってはいけないのだ。誰だって、自分の方が立場が低いからと見下した言葉遣いで話されるいわれはないし、遅く生まれたからと不利を強いていいという根拠もない。レストランの店員さんにも、職務上の部下にも、誰に対しても丁寧に接するべきだろう。

人はみな尊いという、ありきたりに聞こえるその結論も、あくまでもこういった論理の上にあるものだ。

私には10歳に満たない友人から70歳を超える友人までいるか、みんなそれぞれが素晴らしい人だと尊敬している。9歳の少年に教わることもあれば、70歳の老人に教えることもある。固定観念を外して考えれば、そんなこと当たり前なのだ。

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