定年退職した夫が「頼りがいのある夫」から「邪魔者」に転落するのはなぜか?

定年退職を機に熟年離婚をしたリ、夫婦仲が険悪になっていくカップルは意外と多いという。
そこまで長い時間を共にしながらも、仕事の終わり(と言っても、これからは定年という考えがなくなるかもしれないが)になってから突然に関係性が変わってしまうらしい。
もちろん、仲睦まじい夫婦もいる。そしてお互いに趣味などのやりたいことがあれば良いのかもしれない。だから、関係性が変わってしまうんは全ての夫婦に当てはまるわけではないし、その後も素晴らしいパートナーとして添い遂げることも多いだろう。
しかしながら、世の中の夫婦たちは絶妙なバランスで関係性が成り立っていることも少なくない。働き続けた結果、自分の好きなことさえなく「ただ家で寝ているだけ」となったら最悪のケースが待っている恐れがある。
今までは、何とか保ってきた夫婦関係も定年を期に冷え切り、挙句の果てには邪魔者として扱われてしまうこともあるというのだ。
「邪魔者」なんてあまりに酷いと思うかもしれない。私もその言葉はちょっと酷いかなと思う。
ただ、残念なことに夫に対して暗い感情を抱いている奥さん方も少なくないのが実情だ。実際に、夫や旦那で何かを検索しようとすると、その関連ワードには「邪魔者」どころではない恐ろしい言葉が出てくるほどだ。
頑張ってきた人とこれからも頑張る人
定年退職した夫が「頼りがいのある夫」から「邪魔者」に転落するのは、シンプルに「働かなくなるから」だろう。
そのとき「今まで頑張ってきた」は通用しない。
確かに、頑張ってきたのは事実だと思う。家族のために必死で働いてきたのだ。その理解は得たい気持ちはよくわかる。ただ、それと同時に相手への理解も忘れてはならない。
なぜなら奥さんも「今まで頑張ってきた」からだ。頑張ってきたのは夫だけではない、夫婦ともに頑張って生きてきたはずだ。子供がいようといまいと、一つの家庭を守り続けていたのは同じはず。
そしてもう1つ重要な事実がある。自分は「今まで」頑張ってきたとしても、奥さんは「これからも」頑張り続けるということだ。
定年までは、片方が働いて収入を得て、片方が家事をしてその生活を維持していた。それで上手くバランスが取れていたのだ。多少のいざこざがあっても、なんとかやってこれた。
だが会社に定年があっても主婦業に定年はない。いきなり家の掃除をしなくてよくなるわけでも、ご飯を作らなくても生きていけるようにはならないだろう。
奥さんは定年だろうが何だろうがその後も仕事を続けるのだ。今まで当たり前のように家事をしてもらっていた人は、意外とその事実に気づいていない場合が多い。
奥さんが家事をして働き続けるのに、夫だけがそこで働くのを止めてしまうのは、バランスが悪い。そのバランスの悪さが夫婦関係までも傾ける。
「私も60歳になったから定年するわ。家事はもうしないけど家のことは全部お願いね」
と、いきなり言われたら世の男性はどう思うだろうか?
きっと多くの人は困ることになるだろう。今まで家事を全くやってこなかった男性の家は、家がどんどん汚くなり、まともな夕飯すら食べることが出来なくなるかもしれない。
実は、世の男性はこれとまったく同じことを言っているのだ。「自分は何もしないけど、お前はがんばれよ。だって俺だけは頑張ってきたんだから」と。
世の中の言説はどこまでも男性目線なので、残念なことにこの事実に気づける機会は少ない。
それは社会が家事を仕事と認めていないことによるもの(女性の社会進出という言葉もまさにそう)だと思う。
世間は、非賃金の労働に対して認識を改める必要がある。家事も立派な仕事である。お金の発生の有無でしか仕事を考えられないのは資本主義社会に洗脳され過ぎたせいだろう。
仕事の価値とお金の価値
仕事の価値はお金では測れない。
それを象徴するのが、最近世間を賑わしている保育士の給料の低さからも見て取れる。保育士の給料の件では堀江貴文さんが炎上していたが、彼の真意を少し詳しく見てみよう。
ひろ 保育士って大変な仕事ですけど、それと実際の給料は別ですからね。例えば、ソーシャルゲーム業界の従業員が30%ぐらい突然辞めても、社会はまったく困らないですけど、消防士とか警察官が30%辞めるとかなり困りますよね。
ホリ だいぶ困るよね。
ひろ んで、ソシャゲー業界では、20代で年収1000万円もらい人とかわりといますけど、20代の消防士や警察官で年収1000万円ってほとんどいないんじゃないですか。んじゃ、いなくなると困る仕事だから、20代の消防士や警察官の年収をみんな1000万円にできるかというと難しいですよね。それをやったら社会が回らなくなっちゃいます。
引用 ホリエモン×ひろゆき、保育士問題を総括「仕組みをガラッと変えるしかない」
ここで堀江貴文さんとひろゆきさんが語っているように、ソーシャルゲームの社員では20代で年収1000万円という人も珍しくない。それに対して、20代の警察官や消防士、ましてや保育士でそれ程の給料をもらっている人はまずいない。1000万どころか半分の500万円も難しいだろう。
では、社会的に必要性がある仕事はどちらかと言えば、「ソーシャルゲームだ」という人は少ないはずだ。(ちなみにソーシャルゲームを否定しているわけではない)
ソーシャルゲームの社員が皆辞めても社会としては困らないが、保育士がみんな仕事を止めてしまったら社会は大変なことになる。保育は社会にとって必要な仕事だし、彼らがいなくなったら大きな混乱が起こるだろう。
保育士の仕事を「誰にでも出来ると言って軽視している」と誤解され炎上していた彼だが、彼自身は社会に必要で大変な仕事だと認めている。
ただ、世間の認識は「仕事の価値=お金の価値」と勘違いしてしまっているため、理解の齟齬が起きたのだろう。世の中には、誰にでも出来て大変な仕事も、めちゃくちゃ大変で賃金の低い仕事もあるのだ。そして、社会に欠かせない賃金の発生しない仕事もある。
上記の例のように、お金と仕事の価値は全く関係がない。
家事育児に関してもこれは同じである。もし全国のお母さんたちが家事育児を放棄したら、新たな世代が育たずに日本は潰れる。これは冗談ではなく、社会の担い手が0になれば国家が転覆する。当たり前の話だ。
それほど重要な仕事にも関わらずに、家事育児に対していわゆる給料の様なお金は発生していない。
だから「お金を稼いでいるから偉い」というのは基本的に妄想に過ぎないし、お金を得ていないが社会を支えている仕事がこの世界にはたくさんあることも忘れてはならないのだ。
価値を生み出す
そこまで考えると、定年退職した後に「今まで頑張ってきたんだ」と仕事を奥さんに全て投げてしまうのが不適切だということがわかってくる。
別に定年退職したのならバイトでもボランティアでもすればいいのだ。
週5日が面倒なら週3くらいでもいいから、働けばいい。それか家事を分担するとか、生きている限りはなんらかの価値を生み出していく必要があるだろう。
定年しても世の中に価値を生み出し続けていくカッコいい大人もたくさんいる。無償で子供たちの笑顔を作り出したりとか、お世話をしたりする人たちもいる。最近はおもちゃドクターや、シニア世代の保育など、彼らの活動の場が出来てきている。
そのようになってくれたら、奥さんも世の中の人たちも大助かりだろう。何より、貢献できている自分自身が嬉しいし、新しい生きがいになるかもしれない。
少し前は「人生50年」なんて言っていたものだ。人類がここまで長寿になることは誰も予測していなかった。だから、社会システムも追いついていないし、なによりそこに生きる人々の価値観が追い付いていない。
この新しい時代に合わせて、そこに生きる私たちは変わる必要があるはずだ。年齢を問わず生きている限りは常に学び、何らかの価値を生み出していく。そうすれば、どんな時代にだって適応できる。そうする必要があると私は思う。