ゲームを没収しても子供は絶対に勉強しない

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「勉強させるために」子供の持つゲームを没収しようとする親がいる。

しかし、この主張通りに「勉強させるために」子供が大好きなゲームを奪うわけではない。

思い通りにならない自分の感情をぶつけるために、その腹いせとして他人の好きなものを奪おうとしている。一言で言えば、復讐である。

大切なものを奪われてやる気が出る人はいない

想像してみてほしい。

あなたは、あなたのお気に入りのバッグを没収されたらどう思うだろうか?

活力が湧いてきて、「さあ勉強しよう!」と意気込むだろうか?

答えはNoだろう。ありえないと感じるはずだ。

きっと相手のことを憎んで、相手の思い通りにならないよう徹底抗戦するはずだ。相手の思惑が勉強させることなら、その仕返しとして全く勉強しなくなる。

もしかしたら、家から外に出て遊び歩くかもしれない。似たような境遇の友人を探して夜の街をフラつくかもしれない。

少なくとも、自分の大切なものを奪う相手の望みなんて嫌でも叶えないだろう。

むしろ、その思惑を敏感に察知し、それが達成されないように努力を始めてしまう。親と同じように、どうすれば相手が嫌がるのかを全力で、創造的に考えるようになる。

感情的になればただただ関係が悪化し、本当に望むような変化が訪れることはないのだ。

他人の好きなものを没収したところで関係性がこじれるだけである。相手の立場に立って考えてみるとそれがよくわかる。

「悪い何か」が無くなっても良い変化は起こらない

そもそも「これさえなければ上手くいく」という論理は基本的に当てにならない。これはあらゆることに言えるが、そもそも悪い何かは症状の一つであり原因ではない可能性が高い。

何かを禁止したところで、人は隠れてそれをやるようになるだけだ。

テレビゲームを禁止すればソーシャルゲームにハマるかもしれないし、そも禁止されれば無料のインターネットポルノにハマるだろう。

相手はより陰湿に、見えない部分でどんどん望まない方向に進んでいく。

アプローチが陰湿なのだから当たり前かもしれない。

「奪う」というネガティブなアプローチではよりネガティブな結果しか生み出せないのだ。

そこには、より良い方向へ進むための思考が全くない。

ゲームがあるからいけないのではなく、ゲームより面白いものがその子供の生活する社会には存在しないだけだ。あるいは、何らかのストレスのはけ口となっているのかもしれない。

それを奪って何になるのだろうか?その興味の先は、そのストレスはいったいどこへ持っていけばいいのだろう?

大事な何かを奪っただけで、結局マイナスにしかなっていない。何かが無くなっても勉強は依然としてつまらないままだ。

言うまでもないが、勉強そのものへのアプローチが必要だろう。

ゲームを禁止すれば、スマホを禁止すれば、オシャレを禁止すれば、友達を禁止すれば、恋愛を禁止すれば、勉強が好きになるのだろうか?

賢い読者ならもう既にわかっているだろう。そんなことに効果はない。どれも勉強と関係ないからだ。

オシャレしなくなった→勉強が好きになった。はどう考えても繋がらない。

子供は親の姿勢から学ぶ

これだけは理解してほしいことがある。子供は親の「言葉」ではなく親の「振る舞い」から学ぶということだ。

怒鳴って叱りつけられて覚えることは、怒鳴って相手を支配することだ。

感情で相手を支配する方法を親から教えられた子は、自分のお菓子を買わせるためにスーパーで奇声を上げ泣き叫ぶだろう。あるいは同級生に言うことを聞かせるために大声を上げ、力の及ばない相手に力ずくで従わせる。全て親から教わった通りだ。

怒鳴りながら言ったことなんて聞いている訳がない。

しっかり親を観察して、感情で相手を支配する姿勢を学んでいるのだ。

つまり、勉強を教えたいなら、勉強する姿勢を見せることが大切なのだ。

丁寧な振る舞いを学んでほしいなら、子供に対して丁寧に振る舞う。

尊敬してほしいなら、まずは自分から尊敬する。

子供は親の言葉ではなく振る舞いから学んでいく。

それを理解し学んでいく姿勢を自分自身が手に入れれば、子供も同じように学んでいくだろう。

子供に勉強してほしいなら、今から勉強を始めることを勧める。むしろ一緒に勉強したっていい。

どうして勉強しなきゃいけないのか?それは子供も同じように思っているだろう。

大人になっても知らないことは沢山ある。80歳まで生きたとしても世の中は知らないことだらけだ。勉強しない理由なんて全くない。

それでも出来ることは支えることだけ

あくまでも大人にできることは「勉強したい、知りたい」という気持ちを手助けしてあげることだけだ。

勉強する姿勢を子供に教えることは出来るが、その勉強の対象を代わりに選ぶことは出来ないし、興味の対象も選ぶことは出来ない。

相手は宇宙について興味を持つかもしれないし、歴史について興味を持つかもしれない、虫について興味を持つか、ゲームの作り方について興味を持つか、そんなことは本人にしかわからない。

勉強することも、友達も、付き合う人も、他人が勝手に選ぶことはできない。それを唯一選ぶことが出来るのは自分のことだけだ。

勉強嫌いな子供だって、もともとは好奇心に満ちている。

「なんで?なんで?」と小さな子供が際限なく聞いてくるのは、その知識欲によるものだろう。勉強なんてさせられなくても子供は学びたいのだ。

人は知らないものを知りたいと思っている。それをいかに支えることが出来るか、そこに鍵があるだろう。

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