人生の主導権は誰が握っているか?

「誰が社会を作ったと思ってるんだ」という声は聞くけど、「いま自分達が社会を作ってるんだ」という声は聞かない。
それは、主権者でありながらも、自らになにも決定権がないという諦めにも似た感覚によるものだと思う。
いや、社会を作っている感覚どころか、自らの人生の主導権すら握ってる感覚もない人が多いのかもしれない。
全部他の誰かが決めていて、自分の生きる方法すら、他の誰かが決めている。
みんな自信が持てない。これは自分には能力がないと言う自己評価の裏返しなのではないか。
それでも私は思う。自分の人生の主導権を握っているのは他でもない自分だと。
「私」が自分の人生を決める
私がどう生きるかは、他でもない私以外に決めることは出来ない。
どれだけ他人が口出ししようと、友人が善意の助言をしようと、親が経験則に乗っ取って語ろうと、関係ない。
すべて私が決めることだ。
でもこれは、当たり前のことなのだ。他人の人生はその人本人が決めるべきだし、友人の人生はその友人が決める他にない。
だから、彼らの手助けをすることや、友人であることを選ぶことは出来るけど、代わりに人生を決めてあげることは出来ない。彼らの代わりの人生を生きることは出来ない。間違っても、そんな権利はない。
私が、あの人に話しかければ、新しい人間関係を築けるかもしれない。
私が、新しいコミュニティに踏み込めば、その集団に貢献できるだろう。
どのような関係も、「私」が決めることにより始めることが出来る。
もちろんどう反応するかどうかは相手の決めることだが、主導権は「私」にある。
些細な出会いを運命的なものにすることも、固定的な繋がりを立ちきることも、自らの決断によって変化する。
そしてそれが出来るのは私だけだ。自分だけなのだ。
あなたの人生の主導権は間違いなくあなたが握っている。
無自覚かもしれないし、他人に価値観を押し付けられているかもしれない。
それでも、人との会話をいきなり止めることも出来るし、相手の腹黒い思惑を無視することも出来る。それが出来るのはあなただけだ。
「全ての意味ある変化は内側で発生し、外側に発見的に広がる」
どのような変化も、人生の選択も、すべては自分の内面の変化から始まる。
他人に変わることを求めてはいけない。変化はすべて自分から、始まるのだから。