SNS の使い方―他人を傷つけない/傷つけられないために

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インターネットの使い方を知らない人は多い。

その使い方を知らないばかりに、インターネットの便利な面を享受しきれないばかりか、そのデメリットばかりを受けてしまっている人も少なくない。しかし、それはあまりに勿体ないことだと思う。

今回の記事はSNSの使い方やメディアリテラシーについて、様々な視点から書いたので、是非目を通してほしい。

現実が拡張された世界?

インターネットは現実が拡張された世界だ。普段だったら関われないような人と関わることや、自らの言動をより遠くに届けることができる。

だから、クラスの面倒な人が、クラスの枠を飛び越えて誰かに難癖をつけることもあるし、それを目にした世間によってとんでもない反撃をくらうこともある。

自分のクラスや会社で許されていることが社会で許されるわけじゃない。そんな当たり前のことも知らなければいけないのがこの世界だろう。(そもそもそんなことクラスでもやってはいけないが)

少なくとも、現実との違いはほとんどないと考えた方がいい。だからこそ、他人に対しては丁寧に接する必要があるし、付き合う相手も選ぶ必要がある。

無責任な人はネットでも無責任

人に勝手な暴言を浴びせる人は現実にもいるが、そういう人はネット上でも勝手な暴言を浴びせる。

インターネットの上になったからといって全ての人がいきなり上品に変身するわけではないからだ。だから、ダメな人はダメな言葉遣いをするし、人格のできた人は誰に対しても丁寧な言葉遣いをする。それはネット上でも同じだ。

ネガティブなものは見るだけでも悪影響を受ける

人はポジティブなものよりもネガティブなものから受ける影響の方が7倍も高いという。

そして、ネガティブものは伝染し、受動ストレスを受けるのだ。ただネガティブな人を画面越しに見ているだけでも、自分のストレスレベルが増加したという研究もある。

この7倍という数字を考えると、選ぶ情報はかなり厳選しなければいけないことになるだろう。自分の生活を守り、なるべく学びながら一日を過ごしていくためにも、なるべく感情を煽るようなものは見ないようにした方がいい。

都合のいい情報たち

情報は誰かの都合によって発信されている。テレビのニュースで悲惨な事件を毎日のように流すのは、決して世の中が物騒になったからではない。

データをみれば、むしろ犯罪の件数は下がっていることがわかる。実際に、人が亡くなるような事件の被害者総数は現在で300人程もいるが、1980年代は1000人だった。1950年代は2000人にも及んだ。
つまり、数十年前の日本では1日に3~6人の人が他人によってその命を奪われていたのだ。テレビの流す印象と反して、日本の社会は安全になっている。

それでも悲惨なニュースを毎日のように流すのは、人は恐怖を感じるとお金を使いやすくなるからだ。そして、その悲惨なニュースの間に流れるものは一体何だろうか?

そこまで考えてみると、情報はある意図をもって伝えられているということがよくわかるだろう。

楽しそうな写真

友人の楽しそうな写真を見て自尊心を傷つけることはない。

実際に行くとつまらないのに、写真で見ると楽しそうに見える。それがSNSだ。

確かにその写真を取るときは楽しそうにしているかもしれないが、そこで切り取られている瞬間以外の時間は気の使い合いに終始しているかもしれないし、必ずしも羨ましいわけではないと思っておいたほうがいいだろう。これもまた、切り取られた情報だからだ。

ネットで多様な意見は手に入らない

「ツイッターはお茶の間の声が駄々漏れになったテレビだ」と誰かが言っていた。

お茶の間でただ反射的に話される声が聞こえたとして、それは本当にいいことなのだろうか?

あなたは政治家ではない(恐らくだが)ので、全ての人の声に耳を傾ける必要はない。

人類すべての声を聞くことは物理的に不可能だ。そもそも、全ての人がインターネットを通じて発信しているわけではない。「すべての人の意見を聴くべきだ」と息巻いても、手に入るのは「わざわざインターネットで発信する人たち」というバイアスがかかるため、フラットな意見は手に入らない。

だからこそ私たちは情報を取捨選択する必要があるのであって、間違っても「何でも聞くこと」が正しいわけではない。信頼できる情報を、自分の判断で選んでいくことが大切だ。

ネットで多用な意見は手に入らないし、情報は選びとるものだ。勝手に流れてくるものをただ受けとるほどリテラシー低い態度はないと知った方がいいだろう。

例えば、毎日のように流される芸能人のスキャンダルを、全ての情報を手に入れるために、とても深刻な顔をしながら見ているのは果たして賢い行いだろうか?

私にはそうは思えないし、リテラシーの高い人たちもそんな愚かな行いはしていないだろう。私たちの持つ時間はとても短い。質の低い情報に1日を無駄にしている暇はない。

切り取られた言葉

このインターネットの上には、切り取られた言葉が散在している。本来であれば特定の論理や文脈を持っていたはずの言葉が、そういった前提を無視して一部だけで拡散されていくのだ。

日本語というのはあまり完璧な言語ではないし、定義が曖昧な言葉も多い。

例えば「金持ちが幸せだ」と言っても、金持ちとはいったいどのくらいの資産を持つ人のことなのか、そもそも幸せとはどういった状態を言っているのかはわからない。

もしかしたらその人は、年収が1000万あれば金持だと思ってしまっているのかもしれないし、人から賞賛されることが幸せだと思っているのかもしれない。しかし、ただその一言だけを見てもその内容は全くわからないのだ。

人によっては、その前提ではまだ小金持ちとも言えないかもしれないし、賞賛されても別に幸せではない、あるいは賞賛されたいだけなら別の方法があるのではないか?と考える人もいるかもしれない。また、生活の最低限度の金額を知り、それに十分な収入を持っていればそれだけで幸せになれるという考え方もある。

前提となる条件やそれに至る思考が不明瞭な時点で、真意はわかりようがないのだ。だから不用意に反応してしまうことはあまり生産的ではないだろう。

そんな時間があるなら、本を読んで勉強していた方が自分の為になるはずだ。

人の個人情報を載せてはいけない

勝手に人の写真を撮ってそれをネットに上げるのは違法だ。ということを未だにわかっていない大人も多い。(個人的には、わざわざ書くことでもないレベルだと思っているのだが)

相手か普通の人であろうと芸能人であろうとそれは同じ。相手の有名無名に関係なく、利用者のモラルが問われる問題だ。

勤務先に芸能人が来たからといってそれをツイートするのはどうだろうか?業務上で知り得た個人情報を公開することは完全に個人情報保護法に反する。「仕事だから知ったこと」を勝手に漏らすのはプライバシーポリシーに対する違反なのだ。

当たり前に思えるが、意外とわかっていない人がいる上に、その後にトラブルになる可能性も高いので注意してほしい。

好きなことを発信する自由という名のもとに、好きな場所に行き、安心して自分の名前や住所を書き世の中のサービスを受ける自由が侵害されるのだ。

行きすぎた勘違いの自由こそが自由を奪うものだと知った方がいいだろう。

おわりに

SNSと題しはしたが、ここで話したのは主にメディアリテラシーの話だ。比較的ライトなものから重要なものまで混ぜて取り上げた。これは本来であれば学校で教えてほしいことだと思う。

しかし残念なことに、教えるはずの大人や先生たちにメディアリテラシーがないことも多いし、そもそも教えられる人がいないというのが根本的な原因だったりする。だからこそ、こうして発信して考えていく必要があるのだろう。

本当はこの内容を本に書こうかと思ったのだが、わざわざ本を買う時点で既にリテラシーが高い気がするので、いくつかに抜粋してブログに書かせてもらった。

もしこの中から何か学べることがあれば嬉しいと思う。そして、これからもインターネットと付き合っていく中で、その利便性を最大限に活用してくれたら嬉しい。

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