「正規」の仕事と「非正規」の仕事は何が違う?

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労働者に正規と非正規を定めているのは何故だろう。

日本では「労働者」に呼ばれ方が色々ある。正社員、非正規社員、派遣、嘱託、パートタイム、アルバイト。

だが、正規と言われる人も非正規と呼ばれる人も同じ労働者だ。「能力の違いだ」と言う人もいるが、申し訳ないがどんぐりの世比べで、能力なんて大して変わらない。たまに飛びぬけた能力を持つ人もいるが、そのような人はそこら辺にはいない。それは正規とも非正規とも言われない、何億と普通に稼いでしまうような人たちだろう。

実は「能力の違う」ような人は初めからこの議論には参加していない。普通の人が「能力が違う」と言い張っているに過ぎない。言い争う前に、足の引っ張り合いをしてくれると誰が喜ぶのか、そこまで考えた方がきっと建設的な議論が出来る。

最低賃金が上がらないのは

最低賃金を1500円に上げるという運動が物議をかもしているが、格差を狭めるためにベースアップは必要だと思う。だが、おそらくそれだけでは成り立たない。

限られた運転資金の中で人件費がかさめば、その分「偉い人」の給料が下がってしまう。使い捨ての兵士の為にそこまでする人はいない。中途半端にお金を持っている人ほど「金はいくらあってもたりない」と洗脳されてしまっているからだ。

それでも、同じ「働く人」として対等な賃金が保証されるべきだ。

アルバイトの在り方とは:同一労働同一賃金を目指す時代にでも書いたが、非正規の仕事はもはやビジネスの中核にあり、昔の非正規やアルバイトとは全く異なるものだ。今の時代にそこに差をつけるべきではない。

もし経営が成り立たないというのであれば、正社員のと非正規社員の差を無くせばいいという意見もある。そもそも、人を雇えないのは「正社員だけ」お金をかけていたからとも言える。全ての人が同じ労働者なのだから、そこに格差をつけることがそもそもおかしい。全ての労働者は労働者としての権利を守られるべきであり、その間を埋める作業が必要になる。

だが、これがなされると想像するのは難しい。もはや既得権益と呼ばれるようになった正社員の権利を手放す人はいない。他の人が不利益を被っていても、自分の財産だけは守りたいものだ。そのため、「正社員と非正規社員の差を無くす」と言って票を取ることも困難だと考えると、政策としてなされることもないだろう。

実はこんな正社員を無くしたらいい、というのも自分たちの権利を弱めてしまう足の引っ張り合いの要素もはらんでいる。

そもそも正社員を無くせと言っても、正社員自体がいなくなっていたりする。それは、正社員という名の、低賃金低保障労働が増えているということだ。働けども働けども生活に余裕が出ることもなく、自由な時間も全て組織に使われてしまう、安定していると言われる正社員でも、そんな人が増えている。

元々は高収入=高拘束だった正社員が。今や低収入=高拘束の名ばかり正社員が増えているのだ。そしてそのこう拘束が非正規にも適用され、定収入=高拘束という理不尽な働かされ方をアルバイトや非正規社員が押し付けられている。

気付いたころにはみんな自分の足元が危うくなっている。

「時給1500円は高すぎる」「正社員だけずるい」そうやって、どちらの立場も弱くなっていく。

足の引っ張り合いをしている場合ではないだろう。自分たちの権利を守ろうとしなければ権利がどんどん削られていくのだ。

なぜ賃金が「安い方が良い」のか

例えばあなたの行う事業が1年間で1000万の売り上げがあるとする。もちろん、この1000万がそのまま収入になるわけではない。(分かりづらいだけなので税金等の計算もここでは省くが)
経費に800万かければ、あなたが得られる年収は200万だけだ。
だが経費を200万に抑えられれば、あなたの年収は800万になる。

この経費を抑えるのに一番効果的だとされるのが、人件費だ。安い賃金で働いてもらって、その分浮いたお金を自分の給料にしてしまえばいい。皆で稼いだお金だが、人件費を決められる位置に座っていれば関係ない。

TPPやNAFTAでも問題視されているが、グローバリズムの問題もここにある。途上国の人材を安い賃金で働かせて、大量の儲けを得る。その結果、労働者に求められる賃金が低下し、低くなった賃金で自国の労働者も競わなければいけなくなる。

自国では一人20万払わなければいけない仕事でも、途上国の労働者なら5万で済む。差額の15万は利益となるわけだ。

結果まともに働ける環境をなくし、失業者が増える。その大きな不満がトランプの様な大統領を産んだのだろう。だからこそ自分たちの「仕事を奪う」外国人に対する過激な発言が受け入れられていたのだ。実際に仕事を奪ったのは多国籍企業の人間たちだと思うが。

欠落した同じ労働者という感覚

「仕事内容が違う」と一面的に言い切ってしまうのは間違いだ。仕事内容に違いがある場合もあれば、同じ仕事内容で待遇だけ違う場合もある。「責任のない」はずのアルバイトが辞めることはおろかや住むことすら許されなかったり、非正規社員が働くことによって会社が成り立っている場合もある。

だが他に取り柄のない人がこれを「階級」のように勘違いしてしまうことがある。本当に「人間的な違い」があると思い込んでしまうのだ。
同じ労働者の足を引っ張れば、自らの足場も不安定にしてしまうことに気付けない。

労働者の権利を守らなければ、自分の権利も守れないのだ。

中間層が欠落したと言われる現代。いるのは数億を平気で稼ぐ高所得者と、それ以下の低所得者だけ。自分たちの権利を守ろうとしなければ、どんどん隅へと追いやられてしまう。

正しい働き方として、「労働者の権利としての正社員」は守るべきだが、非正規や貧困を作り出すための「格差としての正社員」、あるいは「正社員だから」という理由で過度な拘束や残業などを強いるための口実は無くすべきだ。

変わった社会と変わらないシステム

非正規やアルバイトという言葉が作られた時代と、現代では社会が全く変わっている。社会が変わっているにも関わらずに、基盤となるシステムや価値観は依然として古いものを使用している。

それでは上手くいくわけがない。時代に適応しなければその狭間にいる人たちが理不尽を受けることになる。

ガラケーが普及した時代のビジネスモデルでは、スマホが普及した時代にはやっていけない。それは誰にでもわかることだ。多くの人はそんな当たり前のことがわかっていない。

バブル期の働き方と今の働き方は違う。昔のままで上手くいくと思える方がおかしい。

古く使い物にならなくなった価値観を振りかざし、周りの足を引っ張っている。いい加減、大人にならなければいけないのだ。

今のやり方もすぐに古いものになっていく。過去にすがりついている暇は私たちにはない。

テクノロジーが発達しノウハウも蓄積したはずこの社会で、時代に適応した働き方を常に模索していくことが必要だ。それぞれが社会の中で役割を担いあう存在として、お互いの価値を認め合える世の中にすることが出来れば、また何か変わるかもしれない。

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