リア充写真とSNS疲れ

SNS疲れというニュースが定期的に流れる。
楽しむだけのはずのSNS をやっていると、何故か疲れるというのだ。
SNS疲れとか言われると深刻そうに聞こえるが、要は、充実していそうな写真を見せられることによって自尊心を欠くわけだ。
「私はこうして一人でスマホをいじっているのに、この人は友達もたくさんいて楽しそう」
充実していそうな人の写真を見ながら劣等感を抱く。
みんな知ってる「いいね!されやすい投稿」
今さらながらリア充という言葉は少し古いかもしれない。インターネット上ではなく、リアルが充実していることを揶揄して、ネット上で使われるようになった言葉だ。今では、インスタ映えの方がしっくりくるだろうか。
基本的に「いいね」されやすいのは友人と写っているリアルで楽しそうにしている写真だ。
体験的にみんなそれを知ってるから、自分も何かを投稿するときは派手な写真を上げて、人がたくさんいる写真にいいねしている。
実はいいね!は自分のタイムラインでもある。
子供の写真、パーティの写真、いいねしたものは一時的に自分の友人へもシェアされ、それが自分の印象を作り上げる。
「こんな友人がいるんだよ」という、知り合い自慢のようなものだと考えるとわかりやすい。
リア充な友達がいるリア充な自分というわけだ。
これによって、アニメなどのサブカルが好きでもリア充アピールにならないからいいねは出来ない。ゲームが好きでもオタクと思われたくないからいいね出来ないだろう。何かを応援したくても意識高そうだからいいね出来ず、好きなアイドルのことも、本当に興味のあることでも自分のキャラクターと違うから出来ない。となってしまう。
SNSとはいえそこにはリアルな人間関係が見え隠れするのだ。
だから、本当にいいと思ってもいいねは押しづらいし、大してよくなくても、リア充アピール出来る投稿をいいねしてしまうことになる。
一時的にはそれでいいかもしれない。だが、次第にその努力に疲れていくことになる。それが所謂SNS疲れだと私は考えている。
「誰かと一緒の笑顔の写真」をアップすればいいねが普段以上に貰えるし、自分もそういう写真にいいねする。
それをみんなわかっているから、次第にそのコミュニティではそういう「派手な」投稿ばかりになる。
友達と繫がる目的だったものが、気付けば「リア充写真を見る場所」へと変貌していく。
以前は何も気にせずに楽しめたのに、しょうもない見栄のためにその楽しみやメリットが消えていくのだ。
「自分がどう思うか」より「自分がどう見られるか」に悩まされる状態は非常に窮屈だ。人は誰かに監視され評価されていると思うと萎縮するものだから、それでは疲れるはずだ。
なによりつまらない。
いっそ他人の目なんて気にせずに好みのものは思いっきりいいね!をするところから始めてみるといいかもしれない。
個人的には、どうせ利用するなら、それぞれが「好き」に使ってた方が情報も雑多になって面白いと思う。
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PS.余談だが、実際にその場にいると大して楽しくもないのに、写真で見ると楽しそう!に見えるらしい。
隣の芝生は青いとよくいうように、最高の瞬間だけを見て劣等感を抱くことはないだろう。
面白いのは、特定の友人郡では上記のような写真ばかり、また別のところでは全く異なるタイプの投稿が増えるなど、コミュニティによって異なるところだ。
リアルでもネット上でも、結局は人がその空気感を作り出しいているということだろう。