道徳の教科書と雑多な日本文化

道徳の教科書が検定されたらしい。
「パン屋」が「和菓子屋」になり、「アスレチック」が「和楽器店」になり、更には、「町や国のどんなところが好きですか?」という文言が加えられた。
和だけが日本文化なのか
パン屋は戦前からあるもので、和菓子屋なら日本的だと言うのがそもそもおかしいが、それ以上に日本文化はめちゃくちゃなものだ。
めちゃくちゃというのは悪い意味ではなく、色々な海外の文化を取り入れて混ざり合っているのが日本の文化だと言うことだ。正月は神社に行き、バレンタインでチョコを渡しハロウィーンで仮装し、クリスマスを祝う。そういっためちゃくちゃな文化が日本的だと言える。
食べ物も、パンも米も食べるし、中華や韓国料理、フレンチからイタリアンまで何でも好んで食べる。和菓子を食べて和楽器屋に行く日本人はレアケースだと言えるほどに、特定の食べ物や形式に執着しない。
当たり前に異なるもの
「町や国のどんなところが好きですか?」
「そういうことを聞くところが嫌いです」
そんな答えを出したら先生に怒られそうだ。むしろその先生を怒りたくなるが、まるで好きであること以外の答えを認めないような姿勢がいただけない。
質問の趣旨を理解していないと言われそうだが、質問の趣旨どころか意図まで理解した上で疑問を持っているのだから、思考としては全く問題がないはずだ。むしろ前提に疑問を持つことは大事なことである。
そもそも好きであるかなんてわからないし、嫌いかもしれない。なんとも思ってないかもしれない。
これでは、国のどんなところが好きか、あるいは嫌いなのか、純粋に考えることはきっと難しいだろう。
第一、子供のことを馬鹿にし過ぎだ。彼らは用意された仕組みの中で生きていくのではなく、自分達で社会を作っていく存在だ。良い部分だけを見せて、愛国心を持たせておけばいい訳ではない。
どうも、大人たちはその先を考えていないように思える。何十年も先の、自分たちがいなくなり子供たちが社会を担っていく時代のことを。
必ずしも今を好きな必要はない。嫌いなら、好きになれるような社会を作っていけばいい。
好きなところを残していって、嫌いなところをどうしたら改善していけるか、これからの社会を担っていく子供たちにはそれを考えてくれたら嬉しいと思う。