出世する人≠仕事の出来る人

出世する人は仕事の出来る人ではない。
出世するのは「良い後輩」
みんな経験あるでしょう?上司や管理者になる人間がとても面倒な仕事の出来ない人であったことが。
人付き合いもしづらいし、指示も的確ではないし、何より現場のモチベーションを下げてしまうような、良い面の見えない上司。
でもそういう人たちは、「良い後輩」なのだ。
部下から見るとどうしようもない人に見えても、上の人から見ると彼らはごますりの出来る良い後輩で、だから出世する。
だが実際には、「良い後輩」は「良い先輩」ではない。
良い後輩は上下関係を順守して、当人の実力にかかわらずやたらと関係を押し付けてくる。自分が上の立場の人たちにごまをすっているからと、下の立場の人たちに腰を低く従順になることを強制する。
本来は「良い先輩」を選ぶべきなのだが、ごますり力=出世力の社会ではこうなってしまう。
その結果、「良い後輩」の下で働く人たちが苦労をするのだ。
仕事の出来ない人に仕事を語られるのはさぞストレスだろう。だが良い後輩は黙ってそれを聞くことを強いる。
良い後輩が求めるのは良い後輩だ。そしてまた「良い後輩」が選ばれてしまい、次の世代が苦労をすることになる悪循環だ。
良い先輩となる人は、部下たちの権利を守るために上の人と戦うこともあるだろう。部下に気分よく働いてもらうマネジメント能力など当人の能力もあり尊敬できる人物かもしれない。
だがそういう良い先輩は評価されない。上に従順で、悪いものでも良いと言える人間が評価されてしまう。
「仕事」はごますり
仕事は「誰かの役に立つこと」だ。しかし残念なことに社会で語られている高尚な「仕事とは」の本質は「ごますり」でしかない。
実際に上に行けば行くほどごますりが重視される。仕事の早さなんて求められない。あなたの上司はあなたより作業スピードが速いだろうか?そんなことはない。「仕事(ごますり)」の能力が高いのだ。
「仕事(ごますり)」が出来れば出世するし、給料も上がる。
言葉には本来の意味と実際に使われている意味が異なることがある。仕事と「仕事(ごますり)」もまさにその一つだが、それを理解すると納得できないことにも少しは理解を示せるかもしれない。もちろん、仕事が重視される社会にしていけたらいいなと思う。