昔はパワハラする自由があったかのように言うけれど

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昔はよかったと数十年前のことが常識のように語られるが、当時は虐げられた人が泣き寝入りしていただけだ。支配的な空気のなかで 誰も声をあげることができなかった。
他人の自由を侵害する自由なんて誰にもない。

声を上げられなかった時代

パワハラやセクハラ、体罰の話になると決まって聞こえてくるのは「昔はよかった」という主張だ。

どうやら、昔は人に暴力を振るっても許されていたというのだ。

「昔」と言っても、せいぜい数十年前の数年間のことを指しているのだと思われるが、ここ数十年の過去を遡ってみても他人に対する暴行が合法だったことなどない。

人を殴るのは犯罪だし、誹謗中傷するのも犯罪だ。いくら昭和とはいえそれが許されるわけがないだろう。

では、どうして許されていたというのかと言えば、虐げられていた人たちが泣き寝入りしていたからだ。誰も声を上げることができなかったからだ。それは決して暴行が許されていたということを意味していない。

そう、昔だってパワハラは許されていなかった。他人を傷つけていいわけがない。確かに加害者には他人の気持ちを考える能力がなかったのかもしれないが、それを横暴にも「許されていた」と風潮していることに疑問を持つ人も多いだろう。

数十年前の社会にはパワハラという造語は存在しなかったが、権力のある側に座っていた人間が勘違いにも権力を持たない人間に暴力を振るっていた例はいくらでもあるのだ。部下に対してでも定員さんに対してでも、人の気持ちを考えられない人は昔からいた。

これは、「最近は喫煙者の形見が狭い」と言うのと似ている。(ちなみに喫煙者を否定している訳ではない、あくまでこの主張と論理が同じという話)
この主張でも、そもそも非喫煙者が昔からタバコの煙を我慢していたことが忘れられている。受動喫煙の被害はもちろんだが、室内で吸われれば服は臭くなるし、食事の香りも楽しめなくなる。

彼らは普通に仕事をする自由や、普通に食事をする自由を奪われていた。「昔は自由だった」と行為だけを思い出す前に、まずは周囲の人の気持ちを想像する必要があるだろう。流石に誰も「昔は子供に悪影響がなかった」とは言わないはずだ。

タバコは火と煙を発生させる。それはその趣向自体の善悪ではなく、周りの人に大きな影響を与えるということを意味している。
例えば、部屋のなかで花火をしていいのだろうか?火と煙が出る花火を同じ部屋の中でされれば、多くの人が迷惑するだろう。

花火が良いものか悪いものかではなく、他人に悪影響を与えるから室内ではいけないのだ。タバコもそれと同じであると考えられる。

これも昔から許されていたのではなく、昔から吸わない人の自由を奪っていたのだ。そして、それに文句を言うことさえ出来なかった。
パワハラはより直接的に他人の権利を侵害する。他人の精神を害するその行いが許されるわけがない。喫煙は場所によっては許されても、他人に対する暴行は職場であろうと学校であろうと許されないものだ。

人権の存在しない場所なんてない(あってはならない)のだから当たり前だろう。どのような場所であっても、私たちは人の尊厳を守らなくてはいけない。

昔から許されていたことなんてない

昔から許されていたことなんてない。パワハラもセクハラも昔から許されていなかった。

嫌な思いをしていた人がたくさんいた。昔はあったはずの自由は、誰かから奪っていた自由だ。

まず考えるべきはその事だろう。決して自分が横暴にも他人を害せたことを容認してはいけない。ましてや自慢するなんて本当に愚かなことだ。
このような想像力の欠如が、今の世の中に存在する多くの問題を産み出しているのだろう。

これからどのように時代が変わろうと、人のことを傷つけたらダメだ。自らの行いが認められないことを、他人の自由を害せないことを、それを時代のせいにしてはいけない。

他人の自由を侵害してはいけないのは、そんな自由は最初から存在しないからだ。

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