昔は「お手伝いさん」だったアルバイトだけで仕事が回る時代に考えるべきこと

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昔は「お手伝い」や「お小遣い稼ぎ」という位置づけのアルバイトだったが、今は少し状況が変わってきた。

お手伝いからビジネスの中核へ

昔は本当に「お手伝い」で、ビジネスの根幹とは無関係だったのかもしれないが、今はバイトがいなくなったら経営が成り立たないというのが現実だろう。

つまり、お手伝いでは済まなくなっている。多くの仕事ではそのお手伝いのアルバイトがいなくなれば、ビジネスをすることが出来ない。それはアルバイトに相当の責任が求められていることを表している。

学生のアルバイトの方が、「自分が休んだら仕事が回らないから休めない」と言うのはよく聞く話だ。違法に給料を天引きされたという話や、立場の低さからパワハラなどのニュースも後を絶えない。

しかしながら彼らの給料や立場というのは「お手伝い価格」のまま。仕事量が増えても、求められることが増えても、低い報酬に対して重い責任を取らされているのが現状なのだ。

それなら、もう「アルバイト」という形態は違うのではないだろうか?

同一賃金同一労働を目指すなら

実際にあるのは「フルタイムで働くか、パートタイムで働くか」その違いだけで、それを階級や身分の違いのようにしてしまう古臭い考えにはどうも違和感がある。そこに違いを作ってしまうのはあまりに都合が良過ぎる。

本当にお手伝い感覚で仕事が出来て、何の責任も負わせられないようであれば今の給料でも問題ないのかもしれないが、先に挙げたように現実はそうではないだろう。

真っ先に首を切られ責任を負わされるのはアルバイトや非正規社員であり、業績が思わしくなければ彼らの人件費によって責任が取らされるだろう。今のアルバイトは簡単に辞めることも休むことさえも出来ない。つまり、それは仕事なのだ。

アルバイトも他の形態にある仕事と何も変わりはない。責任の違いと言う人もいるが、正社員ならどれだけの責任をとれるのだろうか?業績が悪化した際に真っ先に切られるのは派遣社員やアルバイトだ。仕事を辞めるという責任を取らされてしまうのは、責任がないと言われる彼らというのが実際のところだ。

結局、雇用形態にはもはや意味がなくなっているように思う。現代にあるのは働く時間の違いだけだ。

それを認めることが出来なければ、最近盛んになって叫ばれている同一賃金同一労働を成し得ることなど不可能だろう。同じように仕事をすれば同じように賃金がもらえる。そんな当たり前の仕組みを、作るために一番の障害となるのは「世紀と非正規は違う」という勘違いだ。

そしてこの勘違いが消えない限り、人々が平等に働くことは困難だと考える。この古い価値観を壊して、人々が共に働ける土台を作らなけらばならない。

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