おじさんは悪いのか?

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よくマナーの悪いおじさんの話を聞くのだが、私にはそれが全てだとは思えない。

むしろ、世間を騒がせるような悪いおじさんは、単純にその人に教養が無かったり、想像力がないものによるものだと思われる。つまり、世代や年齢の問題ではないのではないかと思えるのだ。

私はこう見えてスポーツのトレーナーもしているのだが、そこで教えるおじさんたちは礼儀正しい人ばかりだ。いや、むしろ礼儀正しい人しかいない。

私が何かを教えたときには「ありがとうございました!」ととても丁寧に感謝をしてくれるし、むしろこちらが謙遜してしまいそうになるほど、その姿勢は素晴らしい。

いや、むしろ人はそんなに丁寧にされると「いえいえそんな、こちらこそありがとうございました」と自然に感謝を返してしまうものだ。(「自分の周りの人は感謝が足りない」と思っている人は、自分に感謝が足りないのだろう。他人に感謝を示せば、自然と相手も感謝してくれるものだ)

そんな彼らを見ていると、他人に感謝を示せる彼らは尊敬されているし、別に悪いものではないのかなと思う。

もちろんころは私がトレーナーという立場だからではない。私がまだ学生だった時も、当時そこにいた大人たちは「お疲れさまでした」「ありがとうございました」と丁寧に言ってくれたものだ。

同じスポーツをする人間として、互いに尊敬する言葉があった。それは相手が半分の年であっても、入ったばかりでも同じである。

だからこそ私は、本当の感謝や尊敬を、目上の人間にだけ使う様な自分のことしか考えていない「敬語」ではなく、本当に相手のために使える感謝や尊敬を覚えることができたのだろう。

確かに、世の中で批判されるようなおじさんやおばさんが存在するのはわかる。店員さんにタメ口で話すという教養の無さを披露してしまったり、過剰なほど年齢に縛られたり、自分が若かった頃を絶対視してまるで現実を受け入れられない人もいる。

だが、残念なことに、そのような人はどの世代にもいるものだ。それどころか、傲慢さを持たない世代など今まで見たことがない。駅員さんに暴力を振るう老人や路上にごみを捨てる若者がいるのは、誰もが知っていることだろう。

しかし、それが全てではないこともまた知っているはずだ。寛容で知性に富んだ老人もいるし、誰にでも気持ちよく感謝を示せる中年も、親切で優れた若者も、勇敢で正しい行いをする子供もいる。

私たちはイメージに縛られ過ぎなのだと思う。確かに、ネガティブなものはどうしても印象が強く残りやすいためそう感じてしまうのも無理はないのかもしれないが、しっかり目を開いてみてみれば、それは思っていたほど大きくないことに気づけるはずだ。

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