自由とは「何でも好き勝手出来ること」ではない

自分の価値観に従い、自分で何かを選択すること。本当の意味でこれを理解するためには自由という概念について今一度問い直す必要がある。

自由という言葉の意味を、体系立てて説明できる人はあまりいないと思う。もちろん自由とは「何でも好き勝手出来ること」ではない。

あなたが子供だったときにこのような経験をしたことがないだろうか?「自由にしていいよ」と言われた途端、他人を殴ったり悪口を言い出す子供を見たことが。あるいは大人になってからも、ネットは自由だからとインターネット上で暴言を吐き、子供と同じことをしている大人を、自由の名の元に、他人を傷つけるような行動をする人を見たことがないだろうか?

多くの人がきっと理解しているように、これらは大きな勘違いだ。きっと、その人たちは自由の意味を誰からも教えてもらえなかったのだろう。

自由とは何でも好き勝手に出来ることではない。自由には「制限」がある。

「自分の自由」を制限するものは「他者の自由」だ。あなたに自由があるように、他の人にもそれぞれの自由がある。その権利が守れなければ自由と呼ぶことは出来ない。

他人の自由を侵害するということは、自由そのものを否定する行為でもあるのだ。他人に暴力を振るったり暴言を吐けば、それは相手の自由を壊すことになる。現代でそれを行えば警察に捕まり、自らの行動する自由を奪われ、遂には望みの職業に就くことも難しくなるだろう。他人の自由を侵害することは、自分の自由を放棄することに繫がるのだ。

つまり、好き勝手に振舞い、他者に対して何らかの攻撃を行うことは自由を放棄しているのと同義だ。自分で自由にしているつもりでも、自ら自分の選択の幅を狭めていくことになる。それを自由と呼ぶことは出来ないだろう。

今のインターネットやSNSがわかりやすい例となる。一方では「思想の自由だ」「発言の自由だ」と言いながら、他人に対して暴言を浴びせている人がいる。その結果どうなっただろう?以前にも増して自由な発言をすることは難しくなっている。

かつて自由と呼ばれたインターネットでは、何か発言をすればいちいち難癖をつけられ、自分の思いや、考えたことを発言することすら難しい状況にある。特定の分野について少しでも触れればすぐに攻撃の対象になってしまうこともあるくらいだ。それらは制限であり、自由とは異なるものだ。自由を叫びながら、自由を失っていっているのだから。

自由とは、「他人の自由に触れない範囲で自由に行動していい」という意味ではないだろうか。決して他者を攻撃してはいけない。他者の自由を奪ってもいけない。だからこそ私たちは自由でいられるのだ。