一日の時間は本当にみんな同じ?

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読書量と年齢

先日あるニュースをみたのだが、テレビでも活躍している芦田愛菜さんは、なんと12歳にして1000冊以上もの本を読んでいるという。正直言って、これを見たときはかなり驚いた。普通の大人でも、いや、一生をかけても12歳時点の彼女の読書量に敵わない人が大半だからだ。

科学に対して大きな興味を持つ彼女に、既に多くの人は全く歯が立たないだろう。少なくとも読書量に対する知識とその知識欲は素晴らしい。学校へ行って、お芝居の仕事もして、更には勉強、読書までしている。おそらく彼女ほど忙しい人は稀だと思うが、それでも年間100冊以上の本を読むと言うから驚きだ。

実際、彼女の2倍以上生きている大人でも、彼女の人生で読んだ半分の書籍も読んでいない人ばかりだろう。正直言って、私は12歳の時にまともに本を読んだ記憶すらない。

私が本を読み始めて、0冊から100冊でも大きな違いがあると実感したが、更に1000冊となるとベースとなる情報量がまるで情報量が違うことがよくわかる。

その24時間は同じ24時間か

小学生である彼女の話から、同じ時間のはずなのに、出来ていることの質と量ともに違うのではないかと考えた。

学校へ行って、仕事もして、独学でも勉強して、その12年間の密度は計り知れない。並みの大人では仕事でも勉強でも敵わない。むしろ普通の人は、勉強しようと思ってもなんだかんだ理由を付けて「時間がない」と言いながらスマホを見てしまう。

人生を同じだけの時間生きたとして、その時間は果たして平等なのだろか?

例えば、一冊の本を読むのに、1日で読み切ってしまう人もいれば、1週間かかる人がいる。1年間で100冊読める人もいれば、5冊しか読めない人もいる。

同じ時間でも、その密度や質がまるで異なる。(ちなみに、早く読めばいいと言っているわけではない)

1日は24時間というが、それは果たしてそれは本当だろうか?可能性という意味で、これから24時間過ごすことは出来るし、その24時間を生かすことも可能だと思うが、その時間をどれだけ有効に使えるかは人によって全く異なる。

だから、その24時間が全ての人に等しいかと言えばそうではない。みんな「違う24時間」を過ごしている。

ただ何も考えずに指示だけ聞いて無駄な1日過ごすことも出来るし、ひたすらネットサーフィンをして過ごすことも出来るし、自ら学んで能力を高めながら1日過ごすことも出来る。

この記事のを書くきっかけとなった彼女のように、12年の間に1000冊もの本を読むことだって出来るのだ。

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