人は自分が経験したことにしか共感できない

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他人の気持ちを考えられる人と、他人の気持ちを考えられない人がいる。人の気持ちを尊重できる人と、それができない人だ。

他人の気持ちをまったく考えることができない人は、子供のまま大人になってしまったんだろう。稀に、学生時代のコミュニティのまま、そのままの考えとリテラシーで年だけ取ってしまったような人もいる。どこかで考える機会を得られないまま、時間だけが過ぎて行ってしまったのだ。

実際、何もかもが上手くいっているときに、失敗している人の気持ちを理解することは難しい。一度も見聞きしたこともない情報に、人は注意を払うことができないし、ましてや自分が抱いたこともない感情のことなんて想像のしようがない。常に誰かを馬鹿にしているなら、馬鹿にされたときの気持ちはわからないだろう。

そもそも人は、自分が抱いたことのないような感情を受け入れることができない。想像できないのだ。もし、過去に誰かに裏切られたことがなければ、裏切られたときの悲しさを知ることはできない。そして、その経験がなければ裏切られた人の感情に寄り添うこともまた難しい。

もし小さい頃に何か大切なものを無くした経験があるなら、それがどれほど不安なのか理解することができるし、他人に言われた言葉を忘れられずに何年も苦しんだ経験があるなら、何気ない一言が他人にどれだけ大きな影響を与えるのか理解することができる。

しかし、その経験がなかったらどうだろうか?本当に他の人の気持ちを想像してあげることができるだろうか?一度も他人の言葉に傷ついたことのない人に、言葉が人を傷つけることを知ることができるだろうか?社会から隔離されたことのない人に、ひきこもることが酷く自尊心を傷つけ決して楽ではないことが、その経験がない人に想像できるだろうか?

恐らくそれは、多くの一般的な人にとって難しいだろう。それを想像できる知性や想像力を兼ね備えたような人でもない限りは、自らの狭い偏見だけで相手を判断してしまうことが容易に想像できる。現に、そういった思い込みによる主張はこの世の中に蔓延している。

そういう意味では、最も他者に共感できる人は最も傷ついた人なのかもしれない。傷ついた誰かに落ち着いた雰囲気で寄り添ってあげられるその人は、本当に様々な経験をした人なのかもしれない。

何か嫌な思いをしたことがある人は共感という意味で他の人より優れている。自分が経験していればどういうときに悲しいのかがわかるし、その感情がどれほど耐え難いものなのかがわかるからだ。

もちろん、他者に共感するために必ずしも自分が同じ経験をする必要があるわけではない。十分な教養を持ち、人の気持ちを想像する力があれば、十分以上に他者を気遣うことができるだろう。それでも、競争と比較ばかりを学ばされる私たちにとってそこまで達観することはやはり難しい。だからこそ、人は自分の経験したことにしか共感できないのだ。

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