人は「言葉を使っている」のではなく「言葉に支配されている」

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教育というものは良くも悪くも人に大きな影響を与える。

良い教育を受けて育てば、本当の意味で自立し、自らの目標を達成するための力を得ることも出来るかもしれない。しかし悪い教育を受けて育てば、周りに存在するあらゆる可能性から目を閉ざし、自分の考えすら見失い、他者の考えの下でしか行動が出来ない人が生まれてしまう。

ここで言う教育とは、学校で先生から受ける授業だけを指すものではない。親の振る舞いや周囲から投げかけられる言葉、テレビで延々と繰り返されるそれっぽい常識や、大人が見せつける「社会とはこういうものだ」という思い込み、あらゆるものが教育に含まれる。

言葉の持つ力

「親の言葉」というのは非常に大きな力を持つ。

「あなたはどんくさいわね」

と親に言われれば、その子は素早くテキパキと動くことが苦手になってしまう。

「あなたは悪い子ね、どうして悪いことばかりするの!」

と言われれば、自分が悪い子であると受け入れて日常的に悪いことばかりする子に育つ。

冗談のように聞こえるかもしれないが、人は本当に言われた通りの人になろうとする。人は「自分はこういう人間なんだ」という自己イメージに従って潜在意識的に行動を決めるのだ。

「自分はこういう人間なんだ」という言葉をいったん受け入れると、無意識にイメージ通りの人になろうとする。その称号の良し悪しは関係ない。

例えば「自分は悪い人間だ」という言葉を受け入れた人は、実際に他人に暴力を振るったり、何かを盗んだり、悪い人の振る舞いをするようになるだろう。

「自分は善い人間だ」という言葉を受け入れた人は、他人に親切にすることを躊躇わず、道で迷っているお婆さんを助けたり、困っている人を見たら自ら救おうとするだろう。

子供の頃から言われ続けてきた言葉は、その人に性格を強く植え付けることになる。これが親の言葉というのは非常に大きな力を持つという理由だ。

子供は自分のことを誰よりも知っている、権力者である親の言葉を真実だと思い込む傾向がある。だから小さいころから言われ続けてきた「自分へのイメージ」が自分自身の行動原理にまでなってしまう。

作り上げられた「自分」という存在を疑うことは非常に困難で、一度でも受け入れてしまえば、それが本来の自分だと思い込み、その通りであろうとしてしまう。

安易に親に付けられた称号を後生大事に抱えることになるのだから、この教育の成果は計り知れない。

言葉が人を縛る

実際に、親に酷い扱いを受けその後養子に引き取られた子供は、引き取られた先で愛されても、悪戯をして叱られようとするという。

新しい里親がどれだけ優しい人で、丁寧に扱ってくれたとしても、言われ続けた「お前は悪い子だ」というイメージに取りつかれ、悪い子であろうとしてしまう。

その子供にとっては「悪い状態が普通」であって、誰かに優しくされている状態が異常だと判断するのだ。その異常な状態から戻るために悪戯を繰り返して、自分から怒られようとする。

これは社会的な良し悪しでも個人的な好き嫌いでもなく、その子供にとって「普通」の状態に戻ろうとするための行動だ。いくら愛されても悪い行いを続けるのは、言われ続けてきた悪い子だという自己イメージに従おうとしているだけなのだ。

わざと怒られるような行為を繰り返す子供は、周りの大人に言われ続けた「お前は悪い子だ」というイメージに忠実に従っているにすぎない。

またこれは教師にも同じことが言えるだろう。

学校で「君は数学の勉強が苦手だ」と教師に言われれば、数年後その子は、「私は数学が出来ないから文系に行く」と言い出すだろう。(そもそも文系理系という枠組みに意味があるとは思えないが)たった一度言われた言葉を信じて、その後の人生の決断にまで影響を与えてしまう可能性がある。

「英語が出来ない」という言葉を受け入れれば、そのときから英語をペラペラに話している自分に近づくことは難しくなる。

その言葉がただの思い込みに過ぎないとしても本当に出来なくなってしまう。正確には、自ら出来ない自分に留まろうとする。

実は、人は言葉を使っているようで、言葉に使われているのだ。

「私には出来ない」と思っている人が、実際に行動に移せないのも、まさに「出来ない」という言葉によるもの。可能性として本当に出来ないわけではない。

その人は「出来ない自分」という言葉通りになろうとして、出来ない状態や、行動に移さないという結果を作り出しているのだ。

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