原発に関するいじめを受けた子供と大人なコメントと

横浜市長が原発避難いじめを受けた子供に対して謝罪をしたというニュースがあった。
「長い時間、つらい思いさせた」 横浜市長、生徒に謝罪
誰よりも大人だったいじめを受けた子
横浜市長が誤ったことにフォーカスする記事も多いが、注目すべきはいじめを受けた彼のコメントである。
他の子たちに同じようないじめを体験してほしくないです。僕がされたように、後回しにされたりもしてほしくないです。いじめと認める、認めないの話になったときには、本人は強いストレスを感じます。誰も味方じゃないと感じるからです。今後、こういういじめがあったとき、子供を第一に考えたサポートをお願いします
産経ニュースより引用
いじめを受けた彼自身の発言の方が、教育委員会や周りの大人たちよりもずっと大人びた発言をしていた。
周りの大人たちが考えていたのは自分の保身ばかりであったが彼が考えていたのは今後の子供たちのことだ。
彼は、自分が受けた非道な扱いを決して責めずに今後の事を語った。本当はこれを大人の側がするべきだったのにも関わらずに、大人たちはそれをすることができなかった。
大人たちは、実際に起こった恐喝をただ「おごってもらった」と表現したり、あるいはいじめという行為そのものを認めなかったり、自分の学校や自分の周り、自分の責任が及ぶ範囲のことで問題がなかったことにしてしまった。
その振る舞いは正して大人として適切だったのだろうか。少なくとも私には、いじめを受けた彼自身の方がよっぽど大人として適切な振る舞いをしたのではないかと思う。
彼のように、自分のことだけではなく、これから被害を受けることになる人のために、これから自分のように苦しむ人がいなくなるために声を上げることが出来る大人がどれだけいるだろうか?
残念なことに、それが出来る大人は決して多くはない。
「自分もこんな大変な目にあったんだからお前も苦労しろ」そう言ってしまう残念な大人の方が目立ってしまうことも多く、どうも自分の事しか考えていないように感じてしまう。
彼はそのような大人たちとは異なり、自分のような辛い思いをする人をこれ以上増やさないために、自分と同じ思いを誰かがしないように、自分の言葉を選んだ。私たち大人は、彼の振る舞いを見習うべきだ。学ぶべきことはたくさんある。
「いじめをやめなさい」と大人は言う。しかし実際にこのようなケースを見ていると、いじめをやめられていないのは大人の方なのではと疑問が浮かぶ。