尊敬していないのに敬語を使う人たち

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敬語とは、敬う語と書く。相手に対するリスペクトを示すための言葉だと表向きは言われている。

ただ、現実問題として敬語と尊敬がセットだとは限らない。

敬語の裏には

「さすがですね!」と表向きでは言いながらも、その人がその場から離れた途端、

「ああいう仕事のやり方はダメだな」と言う人がいる。

特定の相手に対して敬語を使いながらも、裏では真逆の対応を取っている例はいくらでもある。むしろ、世の中の人たちを見ているとそのケースの方がよっぽど多いように見える。

しかもこれは若者の話ではない。今例に挙げた会話は50才を優に超えたおじさんによるオフィス内での会話である。自分のボスに対しては、気に入られるように丁寧な敬語で社交辞令を言い、ボスがいなくなった途端に、マウンティングの為にボスをダシに使う。

はっきり言って呆れてしまうが、これは別に珍しいことではない。

自分より立場が上と決められている相手に対しては敬っているかのような言動をしながらも、その敬語を”使わなければいけない”相手がいなくなったときに、彼らはその本音を露にする。

「凄いですね!」

「あの人いつも自慢ばっかりだよね」

さっきまでは明るかった笑顔も、後ろを振り向けば一瞬にして消えてしまう。従順に見えるその顔とは裏腹に、本心では全く尊敬などしていないのだ。

よく考えてみれば「貴重なお話をありがとうございます」と何の変哲もない話に対して言うことは、決して尊敬ではない。

面白い話に対して敬意を表すのであれば相手に対してのリスペクトも感じられるが、つまらない話にまで貴重だなんて嘘をついてしまうのはむしろ相手を小馬鹿にしている感じもする。

立場だけの関係

どんな話でも適当に「素晴らしい」と頷く行為は、まともなコミュニケーションとは思えない。少なくともそこに一対一の人間としての関係はない。

結局、相手ではなく”相手の立場”でしか見ていないのだ。本人のことなどまったくと言っていい程見ていない。実はその原因は敬語を使わせる側にあったりする。どこかで「自分の立場を見ろ」と強制しているのだ。

自分のことを偉いと勘違いして、王様の様な待遇を受けないと激昂するような人間がいるが、そんな器の小さな人を尊敬する人はいないだろう。

それは人間関係ではなく、立場と立場の関係だ。お互いに相手がどんな人間かとか、尊敬できる人間かどうかなんて全く無視して、相手が座っている椅子にだけ目を向けている。それはあまりに薄っぺらく、少し寂しい関わり方ですらある。

尊敬出来ない相手に敬語は使えない?

そもそも、敬語は尊敬を表している言葉ではない。

自分が偉いと思い込んでいる相手を怒らせないための言葉だ。コミュニケーションを円滑に進めるための言葉、所謂”処世術”である。

実のところ、「尊敬している相手にだけ敬語を使っている人」なんて見たことあるだろうか?少なくとも私はない。

では、敬語を使わない相手を尊敬していないかと言えば、そんなことはないだろう。親を尊敬しながら対等に話している人なんてごまんといるし、年の離れた友人を尊敬しながら対等に話す人もいくらでもいる。

よく考えてみれば、尊敬と敬語は全く関係がないのだ。実際に使われている用法から考えても、敬語が尊敬を表していないのは明白だ。

だから世の中の人の多くは、尊敬していようとしていまいと、コミュニケーションが不便な相手と接する時に敬語を利用する。

敬語で話さなければ「何で俺の方が偉いはずなのに敬語を使われないんだ!偉ければ尊敬されるんだ!」という信念を持った相手とコミュニケーションを取ることが出来ない。

端的に言えば外国人と話す必要がある人が英語を使っている様なものかもしれない。美しい日本語がどうこう言う声もあるが、人に上下を作り差別する言葉なんて美しくない。自分が偉いとか、誰が偉くないとか、マウンティングの為に表現されるそれらは醜くすらある。

もちろん、誰にでも敬語を話す人は素晴らしいと思うし、むしろ誰にでもきれいな言葉遣いで話せる人は本当にすごいと思う。しかしながら、そのような人は希少だ。

尊敬していないから敬語を使えないと言うことはないし、尊敬しているから敬語を使う訳でもない。それが世間でのコミュニケーション術として利用されているから、相手の気分を害さないためにも使っているだけだ。

結局、相手が敬語を使ってくれるからと言って思い上がってはいけないし、相手を尊敬していないからと言って汚い言葉を使ってもいけない。私たちが気を付けなければいけないことは、そんな当たり前の話だ。

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