「従順でいる」ことを求める教育

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多くの人は目の前にある問題に対して何も行動をしない。いや、どうしたらいいかもわからないと言った方がいいかもしれない。

この国で「記憶力の高い従順な人」が重視されていることは、既に多くの人が感じている通りだろう。口ではクリエイティブだなんだと聞こえの良い言葉を発するが、実際には「何の疑問も持たずにただ言うことを聞いてくれる」人材が好まれている。

学校でも会社でもそのように教育しているから、多くの人は経験的に知っているはずだ。

従順さ

 学校で学ぶことの殆どは暗記と規律。生徒には授業の内容をそのまま暗記させ、暗記した内容をどれだけ正確に覚えているかをテストし順位をつける。答案に書いたものの意味が合っていたとしても、決められた答えでなければ全てバツにされてしまう。答えが合っていても、計算式が学校の教えている解き方でなければそれは間違いだ、とされてしまう。

学校という社会の中では、先生に教えられたものが正しくそれ以外は間違いなのだ。「どれだけ従順でいられるか」「どれだけ言われた通りにできるか」が評価基準であり、その能力が高い人ほど頭の良い出来る人だと「評価」される。

会社では、「自分で考えろ」と口では言いながら自分で考えることを許さない。会社のやり方で、酷い場合は上司のやり方に沿った方法でなければいけない。もし、本当に自分で考えて行動してしまえば感情的な説教が待っているからだ。

だから多くの新入社員は上司の趣向を覚え、文句を言われない方法を学ぶようになり、次第に自分の頭で考えることを諦めるようになっていく。

仮に部下の考えた方法が仕事の効率を上げるのであったとしても、上司の気にくわないものであればそれは間違いとされ「楽をしようとしている」と仕事を修行と勘違いした上司によって正されていくのだ。

もちろん、何らかの仕事を考えるとき、真っ先に考えるべきは目的の事であり、どのようなサービスが最も顧客に貢献できるかを考えるべきだろう。

そのため、上司の機嫌とりなど完全に筋違いだし、上司がお客さんになってはどうしようもない。しかし、会社では「上司がそれを気に入るか」と言った本来の仕事とは全く関係のないことを考えさせられ、歪んだ基準によって仕事をしなければいけないケースが目立つ。残念ながら、このような職場の話は働く人たちにとって決して珍しくはない。

使われる側の人間として

学校でも会社でも、求められているのは「従順さ」なのだ。それ以外のものは、若さとか精神とか全く関係ないものに関連付けられ攻撃の対象となるだけで、不用意に見せるものではなくなっている。

自由に物事を考えられる柔軟性も、新しいものを作り出す想像力も必要とされていない。いや、本来は必要なのだろう。私もこれからの時代にそれらの能力は本当に必要なものだと思う。

だが、この古い価値観に支配された社会の中でそれは求められていないのだ。例えば、実業家の堀江貴文さんは教育に関して次のように言っている。

「それでは、なぜ学校は恣意的な常識を人に押し付けようとするのか?その常識によってどんな人間を育てようとしているのか?一言で言えば、従順な家畜である。社会は、特に旧来型の企業では、従順な働き手を求めている。したがって、その養成段階である学校で子どもたちは道徳規範を叩きこまれ、学力という形で「従順さ」に点数が付けられていく。」
『すべての教育は「洗脳」である‐21世紀の脱・学校論』(光文社新書)

学校は従順な労働者を作り出し会社に納品する工場だと彼は言う。学校は本当の意味で社会に役立つ人々を生み出すような場所ではなく、今の大人に都合がいい、ただ記憶力の高い従順なだけの人材を世の中に送り出すのだと。彼は東大を中退したことでも有名だが、もし10代に戻れるなら学校には行かないとまで発言している。

もちろんそれは、学校教育の問題だけではなく、インターネットが発展した現代であれば、学校に行かずとも論文が読めるし何でも勉強できる、という意味も含んでいるのだが、様々な事業を手掛け多くの仕事を成している彼は本当に学校に行く必要がないと考えているのだ。

彼の言葉は一見すると過激にも見えるが、見事に本質をついていると思う。本来であれば学校は次の社会を担っていく存在を教育し、将来に投資する場だと考えられるが、現代の学校教育では暗記の訓練をするばかりで、自ら考えることや常識に疑問を持つことを良しとはしない。

あくまで「使われる側」としか考えていないような教育がなされているのだ。共に働いて社会を作っていく存在としての教育は残念ながら脆弱で、労働者の権利を守る方法さえ全くと言っていいほど学ばないし、どうやってビジネスをするのかも学ばないし、お金の仕組みさえ学ばない。

ブラック企業やブラックバイトと呼ばれるものが未だに存在しているのがその証拠だろう。誰も自分たちを守りしっかり働く方法を学んでいないから自浄作用が生まれないのだ。

学校は今の大人に都合のいいように、記憶力が高く言われたままに行動できる「社会の歯車」を世に送り出す。その先の、彼らが大人になり社会でそれぞれの役割を担っていく将来のことは残念ながら考えられてはいない。これでは、学校は従順な労働者を会社に送り出す工場だと言われても無理はないだろう。

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