なくならないイジメとセクハラと上下関係と

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悲しいことに、世の中にはいじめという名の暴力が存在する。

学校や会社、部活からちょっとしたサークルまで、人の集まる閉じられた社会にそれは存在する。

子供であることや大人であることはあまり関係がない。人が誰かを馬鹿にし、その人を攻撃することを許したときに、この愚かな行いは発生する。

暴力、誹謗中傷、窃盗といったこの世界で許されない行いが、下世話な笑いを伴って襲ってくるのだ。

無抵抗の人への攻撃

基本的にいじめと呼ばれるものとあらゆるハラスメントは同じものだろう。いじめというのは他者への攻撃だ。「何をしてもいい相手を作り出す」ことによって愚かな行いはなされる。

パワハラもセクハラも、親による虐待も教師による感情的な指導も、全て他者の侵害であり、そこには必ず固定的な上下関係が存在する。

上下関係といっても、これはパワーバランスの話で、上司が対象になることも、先生が対象になることも、直接関係ない芸能人が対象になることだってある。

キーワードは「反撃できない人」だ。

だからこそ「何かすると虐待になるから」と注意も何もできない先生が生徒から暴力や暴言を振るわれることもある。無抵抗の先生が生徒から体罰を受けるわけだ。

有名人が炎上する例も全く同じで、反撃されない相手が選ばれている。IPアドレスを開示されたり訴訟を起こされるリスクのある相手を攻撃する人は、愚かな中でも特に愚かすぎる人を除いていないだろう。

勘違いさせる上下関係

自分を偉いと勘違いした人は、他人の尊厳を踏みにじる。その権利があると思い込む。

決まりきった関係によって愚かにも勘違いをした人間が、他者の人格を批判する。そんな権利持っていないにも関わらずに、他者を傷つけるのだ。

つまらない話をして目の前でケータイを見られたからと他人の顔を殴りつける事件があったが、まさに傲慢さが行き過ぎた例だろう。

「自分は偉いから、相手はどんな状況でも従わなければいけない」と勘違いした人間は、相手を「反撃出来ない立場」に押しやる。

そうして立場上何も言えない相手に対して好き勝手やっているうちに、相手が対等な人間であることを忘れてしまうのだ。

明らかに間違っていることを言っても笑顔で賛同され、道義的に問題のあることでも一言も反論されない。そんな異様な環境の中で価値観が歪んでいく。

「自分が馬鹿にしている相手と自分は同じ」だということに気付けない程、愚かになってしまう。

「人によって感じ方が違うから」なんて言う人もいるが関係ない。人格批判をされることは誰にとっても苦痛であり、他者を傷つける権利は誰一人として持ってはいない。

異様な権力はそれほど人を愚かにする。

自分が偉いと勘違いしてはいけない。人に上下はない。他人の人権を侵害する権利を持つ人間など存在しない。

もし相手より自分の方が偉いと思ってしまうならそれは酷い思い上がりだ。

物言わぬ存在として

今の社会では「何を言ってもいい存在」が作られている。

いじめられる生徒、セクハラされる部下、クレーマーに悩まされる店員、彼らは何を言われても黙って従うことを強いられている。

対等な人間として、決して許されない言動が、この歪んだ関係の中では当たり前のように行われているのだ。

他人を殴ってはいけないし、この社会の中でそれが行われれば逮捕され投獄されるが、いじめられている生徒に対しては何の罰則もなく暴力が加えられている。

他人に対して性的な言動は許されないし、それは社会の中で決して容認されないような人権侵害だが、セクハラを受けている社員に対しては日常的に行われている。「セクハラを受ける人間が悪い」という最低の言い訳と共に。

他人に対して怒鳴りつけることはあり得ないし、コミニュケーションとして幼稚すぎる態度であるが、理不尽なクレームは理不尽な感情と共に店員に対してぶつけられている。

これらに共通することは「何も言うことを許されない」関係が作り出されているということだ。人に上下が作られ、声を出すことさえ許されない存在、つまり反撃できない人だ。

異論を許さない社会は人を押し潰す。意思さえ認めない関係は近代社会において決して容認するべきものではないだろう。

基本的人権や彼らの持つ権利を侵害することは許されない。

一人の意志ある人間として

誰もが意思のある対等な人間である。

私も、私より10才若い友人も、その何倍も生きている人も、価値として何も変わらない対等な人間である。

勘違いに溢れた世の中では、こんな当たり前のことを主張する必要があるのだ。

文句さえ言えない人を作り出してはいけない。もし何かおかしいことがあって、それを口にできないとしたらそんな社会は腐っている。

嫌なことは断っていいし、理不尽なことには怒っていい。物言わぬ存在として扱われる必要は全くない。

誰かが意思のない物として扱われないためにも、それを許さないためにも、対等な人間であることを示さなくてはいけないのだ。

人の持つ権利はみな変わらない。他人より偉い人も人より偉くない人も存在しない。それが著しく大きくなったり、少なくなったりするときに、理不尽が起こる。

意思を持つ人間が認められないなら、その時点から人と人の関係が無くなってしまう。それは、決して望ましいものではない。

だからこそ皆が対等であるという当たり前の認識が、もっと必要なのだ。

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