井岡一翔の引退とボクサーの人生

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井岡一翔さんの奥さんである谷村奈南さんのSNSが炎上しているというニュースがある。しかし、「炎上の定義とは何か?」という疑問を抱かざるを得ない。別に悪いことをしたわけでもないし、実際はただ因縁を付けられているだけではないだろうか。

どこかの他人が世界王者という肩書と、結婚という理想の「あるべき姿」を押し付けて、文句を言っているだけだ。

ボクシングの元WBA世界ミドル級チャンピオンの竹原慎二さんは、結婚に対してこのような発言をしている。(ちなみにこれは結婚と転勤に悩む相談者に対しての回答である)

俺が世界チャンピオンだった頃、けっこうオンナが寄ってきたよ。分かりやすい肩書きだからね。で、オンナ達はみんな俺に「がんばって」って言うのさ。ま、そのまま世界チャンピオンでいてね、ってことだよな。でも、1人だけ「ボクシングなんか早く辞めて」っていうオンナがいたんだ。純粋に俺の身体を心配して。

結果的にそれが今の女房なんだけどな。俺の言いたいこと、分かるか?

お前の彼女は、大手商社勤務のオトコと結婚したいのか、それともお前というオトコと結婚したいのか、どちらなのかってこと。いっぺん彼女にそう聞いてみろよ。ま、ブランドなんか気にするオンナ、ロクなもんじゃねぇと思うがな。

竹原慎二ボコボコ相談室

ボクシングは本当に過酷なスポーツだ。ボクサーとしての生活を続けるだけで体と脳にダメージ溜まっていく。

殴られるのは試合に出ている数ラウンドだけではない、何十何百というスパーリングをこなさなければ観客の前に立つことは出来ない。彼らは多くの戦いを得た上で、観客に囲まれたリングでの戦いに挑んでいる。

パンチドランカーになるのは試合のみのダメージの蓄積ではない。強さを維持するため、あるいは、より高みを目指すための練習でのダメージの蓄積がその大きな原因となっている。

技術の発展により臓器は移植手術や機械に頼ることも出来るが、脳だけは交換のしようがない。ダメになったらそれで終わりだ。

ボクシングはその人の人生を大きく変える。いい意味でも悪い意味でもその影響は計り知れない。だから続けろってのは無責任だし、そもそも格闘技は一生続けるべきものでもない。家族を守りたいと思ったら、続けられるものではない。

ボクサーは引退した後にも人生がある。どれだけダメージを負っても、どんな後遺症が残っても生きていかなければいけないのだ。

こうして外から眺めている人たちは、無責任に批判しアドバイスをする人たちは、彼の人生を背負うことはない。

引退した後、彼が死ぬまで何十年も生活を支える気概があるのだろうか?きっと数年後には名前を口にすることさえなくなっているだろう。それが事実だ。

もし「言うとおり」にしたところで、毎月の生活費を振り込み、不自由になった生活の補助をしてくれることは決してないだろう。

私もきっとその一人である。こうして彼の名前をこの記事に書き込んだのは初めてだし、今後書くこともないかもしれない。他人なんてそんなものだ。だから、過干渉になり過ぎるのはいけない。

どうも最近は、人の人生に対して過干渉すぎるように感じる。「こうあるべき」だと言う個人的な理想を元に他者にアドバイスをする。「ありがた迷惑」とはまさにこのことだが、人のことばかり気にしていないでまずは自分の人生を幸せなものにした方が良い。

ファンは大切だ。試合を見に来てくれる観客がいなければ、ボクサーはファイトマネーを手に入れることができない。だが、チケットを購入し彼を応援したその対価は、その試合で彼が支払ってきたはずだ。井岡一翔さんが持つ世界戦最多14勝という記録がそれを物語っている。

一生をかけて関わる人と、普段関わることさえない赤の他人じゃ責任の重さが違う。人生の中で関われる長さが全く違う。

ボクシングを続けることを強制できる人はいない。竹原慎二さんの奥さんは、唯一彼の体を心配して「ボクシングなんかやめて」と言った。それは本当に素晴らしいと思う。

肩書やお金、名誉に縛られずに、純粋に一人の人間のことを想っての言葉だ。

他人には決して発することのできない言葉だ。

井岡さんとその奥さんの関係はわからない。どこの夫婦が、どのような関係性の中にいるかなんて、知る由もない。そもそも口を出すべきではないのだ。彼らには彼らの人生があるし、壊れるまでボクサーを続けろと言うのはあまりにも酷な話だ。

ひとりのボクサーとして、ボクシングに関わるものとして、私はそう思う。

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