大人の語る「現実的」な話より大事なこと

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私たち大人って言うものは経験則に基づいて何かを語る。

もちろん、それを創造的に利用できればいいのだが、制限的に使われることが多い。何かを出来ないと決め付け、「わかったつもり」になる。

でもそれは、未来を知っていて何かを断定している訳ではない。

そんな能力のある大人は一人もいない。

それでも大抵の話は「現実的な話」として受け入れられる。

でも現実とは何か?よく考えて欲しい。

きっとその言葉から受け取るイメージと実態は異なるだろう。現実とはあくまで「その人が認識している世界」のことだ。

「現実的に考えて~」というのは、その人の知識量と考え方の範囲内の話に過ぎない。

「それは難しい」と言うのは、自分が過去に失敗したからかも知れない。「それは難しい」と言うのは、自分が挑戦する勇気すら持てず腐ってるだけかも知れない。

自分が無理だったことを、自分の個人的な想像の範囲で無理だと思うことを、「無理だ」と言ってしまう。

だから、人の「現実的」な発言に対して、あまり萎縮する必要はない。一人の現実など本当に狭い世界でしかないから。

自分が100才まで生きて、努力して多くを経験しても、膨大すぎる情報に溢れた世界の1%も知れないだろう。それどころか、100才を迎えた次の日に何が起こるかさえ、わからない。

次の日まで生きてるかもわからない。そんなものだ。

特に若い人や学生、要は、従順に話を聞いてその通りにすることが「美」とされている人たちに気を付けてもらいたい。

大人が話すその話は、本当に根拠があるのか、信用に値するのかどうかを。

情報の真偽を確かめ取捨選択するそれは、常に情報の「受け手側」が握っている権利だから。

「この人良いこと言ってるな」と思ったら取り入れて。「この人が思ってるだけだよね」と思ったら従わなければいい。

誤った情報が多いほど、より正しい答えを導き出せなくなってしまう。

誤った人生観、誤った判断基準、誤った人間像、それらを用いて出来ることはなんだろう?

きっと他人に悪影響を与えることしかできない。

自分が満足に生きることさえ出来ない。

だから、より良い情報を、より良い考えを、自分の判断の元で、選び取って行くことが大事なんだ。

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