「あなたのためを思って」は嘘だから信じない方がいい

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「あなたのためを思って」おそらく誰もが聞いたことのあるフレーズだと思う。大抵の場合、自分の思い通りになって欲しい時に使われる言葉だ。

「わたし」がなってほしい「あなた」

「あなたに従順でいてもらったら、私が楽できる」
「お前に辞められたら、決断できていない自分を認められないから、辞めないでほしい」
「わたしの思い通りになってほしい」

それが本音だったとしても、それをそのまま言ってしまうのはあまりに体裁が悪い。どこか自己中心的な考えだし、さすがに自己中だなんて思われたくない。だから「あなたの為を思った」事にする。あるいは本当にそうだと思い込む。

「あなたのためを思って」という言葉は、とんでもない嘘である。

なぜなら「あなたのためを思って」と言いながら、その人が考えているのは「あなた」ではなく「わたし」だからだ。自分のためなのに、あなたの為という聞こえの良い嘘を被せている。

「あなた」に自分の想像の範囲内で留まって欲しいという一種のエゴなのだ。

あなたが何かに挑戦しようとするとき、自分が想像していたあなたからはみ出しそうになる時、「わたし」の想像の枠に押し戻す。

「そんなのはあなたじゃないよ」「あなたはこの程度の人間なんだよ」そうやって洗脳することによって、あなたは「わたし」にとって居心地のいい場所に留まってくれる。もちろん、「わたし」のために。

人の自立を阻害する親や先生

この便利な言葉は、親や先生、上司と呼ばれる人たちが、自分の自己中心性を隠すために使用されることが多いと思われる。おそらく、「あなたのためを」と言われた人経験を持つ人は、自分より偉いとされる人に言われてきたのではないだろうか?

親や先生という教育する立場にある人が、この言葉を好んで使ってしまうのが実際のところだ。

本来、人を教育する立場にある人の目的とは「自立」である。(ちなみにここでいう自立とは、経済的な自立ではなく、自分のことを自分で考えて決められるという精神的な意味での自立だ)

だが、自立を目的とするはずの親や教師というものは極端に「自立」を嫌う。もちろん、口では「自立」してほしいと言うのだが、自立して対等な人間になってしまうことを恐れているのだ。

対等な人間になったら相手にされないかもしれない。今までは根拠がなくても威張れたし、言うことを聞いてもらえたけど、自分が同じ人間だと言うことがバレてしまったら、相手にされなくなってしまう。今まで信じさせていたその力関係が崩れてしまう。

実際、権威が無くなった途端に見向きもされなくなるような人は沢山いるだろう。だからその恐れはあながち的外れではない。もちろん、教育者としては、大間違いだと思うが。

あなたのためを思っては大嘘

あなたのためを本当に思っている人は「あなたのためを思って」なんて押しつけがましく言わない。

もしあなたのためを思って言われたことに従ったとしても、その人があなたの代わりに生きてくれることはない。上手くいけば「あのときのアドバイスが良かったから」と自慢げに良い、失敗したら「お前の努力が足りなかった」と人格批判に走るだけだ。

だから、この言葉が出てきたときは警戒した方が良い。「あなたを何らかの方向へコントロールしたいと思っている」ことが考られるからだ。

冷静に聞くと「この人は、現状に留まって欲しいから、挑戦するリスクをやたら強調するのか」とか「この人にとって自分はこんなレッテルを貼られているのか」といったように、自然と相手の思惑に気付くことが出来る。

自分の決断を大事にしてほしい。自分の行動の責任を取れるのは、自分以外に誰もいないのだから。

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