友達みたいな親子はいけない?

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友達みたいな親子はいけない?

最近は、友達みたいな親子を見ることも多くなった。あるいは、それを隠す必要が無くなった。

残念ながらそれに対して、どこか批判的な意見を聞くことがある。

親子にはもっと厳格な優劣があるべきだと、どうやら、上下関係があるというのが、あるべき姿だという信念があるらしい。

だが、基本的な考え方として、人間に上下はない。

人はみな平等

人権的に考えてもそれは当然で、人は誰しもが同じ価値を持つ。誰もが自由だし、誰もが他者の支配下にいるべきではない。

誰の親でも、誰の子でも、全ての人は平等だ。

そもそも、もし親の方が偉いのであれば、少しおかしなことになる。

AさんはBという親がいなければ生まれないから偉くないが、BさんはCという親がいなければ生まれないから偉くないし、C さんは…と、人間はどんどん矮小な存在になることになってしまう。

じゃあ、私より2世代あとに生まれる子供は、2回り価値がないのだろうか?その世代になれば、権利は私よりも少なく、自由な発言も許されないし、ただ自分より偉い人に搾取されるべきなのだろうか?

そんな馬鹿な話はない。私もあとに生まれる子供も人間として対等である。

何百何千年と繰り返す大きな流れの中で、みな役割を担いながら生きていく。視野が狭いとどうしても個人的な感情で考えてしまいがちだが、もっと広く考えればそれはすぐにわかることだ。

縦の関係から横の関係へ

人に上下を作ることは、民主主義的な考えと根本的に相容れない。

民主主義では、すべての人間が平等であることが前提だ。

だからこそ、それぞれが社会の在り方に関わることが出来るし、同等の発言権を持つ。

誰かが誰かの支配を受けることは、独裁的な考えだ。偉い人と偉くない人が出来てしまう。

こうして考えてみると、友達みたいな親子は、むしろ進んだ人間関係であることがわかる。戦前の独裁的な関係を反省したこの国民達に、民主主義が浸透した結果でもあるのだろう。

嫌われる勇気で一躍有名となったアドラーも、親子は交友関係を結ぶ方が適切だと言う。

ようやく認識が変わりつつあるのだろう。

支配的な縦の関係から、協力的な横の関係へと変化していく。それは、人が成長していく上で当たり前の変化なのだと思う。

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