依存症からの脱却を本気で考えてみるー酒・たばこ・ポルノ・ネットサーフィン

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依存症について私が考えた思考のプロセスをそのまま書き下ろした。

依存症になる原因から、そもそも依存症になると何が困るのか、そこからの改善のプロセスや、思考法まで、考えられるものを書いてきた。

この依存症に対しての思考が、なんらかの役に立てたら嬉しい。

自らが依存症に悩む人も、身近な人が依存症で悩んでいる人も、ここで真剣に、一緒に考えてみよう。

依存症の原因

そもそも依存症にはどうしてなるのだろうか?もともとは必要のなかった対象、始めは自分の世界に存在すらしなかったものが、何故に「必要」だとされてしまうのか?

恐らく、人の特定の感情や、状況に結び付いて、そこから逃れるための安易な手段として記憶されてしまうのではないかと考えられる。

ストレスを感じたとき、なんとなく不安なとき、それを忘れさせてくれるのが依存の対象物だ。

人生のどこかの段階で、この対象物に触れてしまった。触れたのは良いが、何度も繰り返してしまった。そこからいわゆる依存症が始まるのだろう。

嫌なことがあった時に酒を飲んだら、酔っ払って気持ちよくなったとか、死ぬほどつらいことがあったときに、ポルノを見たらそれを別の興奮に変えられたとか、そういった経験だ。

何が問題?

依存症の何が問題になるのだろうか?

感情に対して物で対応してしまうことによる自制心の低下、ドーパミンの過剰分泌など脳科学的な問題は多くあると思うが、恐らく、本人にとって最も問題となるのは「時間」だと思う。

依存の対象物に消費してしまう時間、それによって他のことに回す時間が減ってしまうのだ。

依存症によって行われる大抵の行為は、一瞬ではない。タバコによってイライラしていたり、酒に酔っぱらうのも、ポルノを見るのも、貴重な1日の数時間も浪費する。

その時間に新たな資格を得ることも出来るし、外国語を覚えることも、友人を作ることだって出来る。あらゆる可能性をもった時間を、対処療法的にいつまでも無駄にしてしまうのだ。

他にやりたいことがあっても、この依存的な行為によって時間を浪費する。そして時間を浪費したことに頭を悩ませる。この悪循環こそが依存症の大きな問題だろう。

仕組み

これらの問題は、ストレスや感情から依存的行動に結びついてしまうことによるものだと思う。

ちょっと仕事で嫌なことがあったなと思うとお酒に走り、今日は凄く疲れたと思うとポルノを見てしまう。

しかし、これらの行動は結局何も生み出さないばかりか、自分を癒してくれることさえない。

イライラするごとにタバコを吸えば、タバコを吸えないことにイライラするようになってしまうし、トラウマ的体験の後に飲酒をすれば、より情動的になりその記憶は忘れ辛くなってしまうし、ポルノが体の疲れを取ってくれることはなく、むしろ体力や気力を奪われてしまう。退屈だからとネットサーフィンをすれば、その退屈な日常を維持してしまうだろう。

これらの行いは基本的に逆効果であるどころか、悪循環に陥ってしまう。しかしどれも瞬間的に興奮や落ち着きを得られるから、脳が勘違いして再びそれを求めてしまう。

つまり、何の解決にもならない行いを、いつまでも繰り返してしまう仕組みにも、依存している人の頭を悩ませる大きな要因がある。

対処法ではなく、予防法を考える

依存症について、よく対処法を求めている人が多い。

みんな楽がしたいのだ。今依存している対象みたいに、「これさえ知れば大丈夫」みたいな情報を求めている。

しかし、あなたのことを変えられる人間はあなた以外には存在しない。

辞めるにはどうしたらいいのか?やりたくなってしまったらどうすればいいのか?これは病気と一緒で、出てきた症状に場当たり的に対処していてもいつまでたっても治らない。

風邪を引いたとき、いわゆる風邪薬を飲めば、熱は下がるかもしれないが、体は風邪を引いたままだ。(そもそも風邪を治す薬など存在しない。あったらノーベル賞を取れるだろう)

それでは問題は解決しないし、何も変わらない。

では何が大事なのかと言えば、予防の方だろう。風邪をひかないように健康的になった方が、長期的に考えてずっと有効だ。

いくら風邪を治すことがうまくなっても、しょっちゅう風邪を引いていては仕方ないだろう。

改善のプロセス

依存症に頼らない健康的な生活を手に入れるためにはどのようなプロセスを得ることが有効なのか考えてみよう。

まず、もっと勉強したり、能力を向上させたり、友人を増やすことが目的だとする。これは、「依存によって失ってる」と考えられていたものだ。
だが、これらは何時でも手にすることが出来る。

実際に勉強を始めて、能力を身に付けて、人がいる場所へ足を運べばいい。

どうして私たちは、「依存症を治すこと」にばかり目を向けて、本当にやりたいことに目を向けられなかったのだろうか?

ここに根本的な問題があるのだろう。

実際、なんらかの依存的な生活をしてきた今までも、何かを勉強できたことや、楽しく友人と話せた瞬間があったはずだ。

つまり、物理的に不可能な訳ではない。依存の対象が存在するから何も出来ていないのではなく、行動していないから何もできていないと言うことが出来る。

劇薬かもしれないが、本当にそれほどシンプルだ。何かが悪いなんて言っている間は、何も新しいことなんか出来やしない。

別にこれは普通の人でも同じだ。行動しなければ何も出来るようにはならない。当たり前のこと。

それでも多くの人は、「出来ない理由」を考え「出来る理由」を考えない。でも、考えてみれば出来る理由はたくさんある。

「この食前の10分があれば本が読める」
「ここの1時間を使えば、勉強出来る」
「今日は午後時間があるから、町に出てみよう」

そうやって考えれば、出来ることがたくさんあることに気づける。自分の頭で実際にこの言葉を思い浮かべれば、実際に行動することが出来る。

今まで抑圧的だった思考法を変えるだけで、依存症を治してからやろうと思っていた目的を達成できるだろう。

自分の目線を依存的な思考から、やりたいことへ移すのだ。

この依存的なライフスタイルには、自分で思考しない所に大きな関係がある。「出来る理由」を自分の頭で考えてみよう。何が出来るか、自分の思考を巡らせてみよう。

おわりに

実は、ほとんどの人が一緒なのではないかと思う。
依存症を直してから生活を変えようとするのではなくて、
生活を変えて、好きなことをやればいい。

みんな何故悩むのかと言えば、「他のことが出来るのに、やりたいことがあるのに出来ていない現状」に悩んでいるだけだ。何も望むものがないのに自分は依存症だとか、治したいとか思う人はいないのではないだろうか?

やりたいことを少しずつでも出来ている生活に、依存は必要ない。実は先に行うべきは自らの考え方の変化だ。

きっと、ここに書かれた考えが新たな視点になるだろう。そしてそれが、小さな変化を起こすことが出来たらとても嬉しいと思う。

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