カッコいい大人もいる。でも、それだけではダメな理由

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世の中には変な大人がたくさんいる。

人権無視に近い上下関係を押し付けるような大人とか、一時の価値観をさも正しい「常識」のように語る大人とか。

実際私も、根拠のない常識やそれを無批判に吹聴してしまう大人に対して、ちょっと厳しめの意見を言うことも多い。

だが、ちゃんと格好いい大人もいる。

基本的にそういう格好いい大人は「背中で語る」から、あまり余計なことは言わない。わざわざ目立とうとしたりも、誰かを貶めようともしない。

人の気持ちを考え、自ら努力できる尊敬できる人たちだ。

ただ、今の社会はどこか「言ったもの勝ち」な仕組みがある。

悪い奴ほど出世するとはよく言うが、他人の足を引っ張ることに躊躇しない人やずる賢いほど「偉い人」になるし、本当に良い人たちはあまり目立たない。

この世の中の「言ったもの勝ち」な性質によって、真面目に頑張る人より口うるさく巧妙な人の言説の方が強くなる。

だから、いわゆる「世論」では格好悪い大人の意見ばかりになってしまうのだ。我儘にも近い押しつけがましい価値観が蔓延してしまう。

多くの人が「それはおかしくない?」と思う様な考え方が、常識として通ってしまうのだ。

面倒な人ほど声が大きいことは、日々の生活をしている中で多くの人が知っていると思う。そういった声の大きい主張が、世の中を支配していくわけだ。

それに、若い人たちも優しい子が多いし、やっぱり強く主張することがない。謙虚で、よっぽど日本人像に近い気もするのだが、それにさえ文句を言われていたりする。

そうなると、おかしいことを「おかしい」と言えないような雰囲気が作られてくる。一部の人間に都合がいい考え方を、「みんなそう思っている」と勘違いさせられてしまう。

何も言わなければ、それは存在しないことにされてしまう。

拒絶しなければ、それは受け入れられていると勘違いされてしまう。

気付いたころには、何も主張することさえ出来ない程に、自分たちの立場が弱くなってしまう。

だから主張することは大事なんだ。黙ってる人たちの代わりにさ。

カッコいい「本当に偉い人」の言葉はなかなか世の中で聞くことが出来ない。でも、そういう人たちの存在感がもっと世の中に広まればいいなと思う。

誰かが言わなければいけない。だからまず私たちが始めるのだ。

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