なぜ他人の基準で選択すると失敗するのか?結婚という選択について

人生にはあらゆる選択があるが、それを上手く選べる人はあまりいない。いわゆる婚活という場でも、自分の基準による判断でなく誰かの基準で選んで失敗する例は多いようだ。

世間は「高学歴」で「高収入」で「高身長」の人(少し古いが)と結婚したら幸せだと親切に教えてくれるのだが、果たしてそれは本当に役に立つのだろうか?

嫌いな人と一緒に暮らせるか?

 残念ながら、そんな人と一緒にいたら幸せになれるわけでも、結婚したら幸せというわけでもない。誰かの基準で選択をしてしまうから、結婚という建前を持ちながらも家庭内別居や離婚したりする人が多いのだ。

「婚活」という響きは軽いが、実際に3組に1組のカップルが離婚しているという辺り、あまり馬鹿に出来ることではないだろう。もし子供を授かっていれば、離婚はその子供の人格や人生に多大なる負荷をかけることになる。家庭環境が子供に与える影響は非常に大きなもので、その後の人間関係の基盤にもなる。親がいがみ合っていれば子供は心に傷を負うだろう。

それほど重大な決断にも関わらず、「周りの人がどう思うか」という世間体で選んでしまう人もいるのが現状だ。自分の基準でパートナーを選ぶということをせずに、周りの評価を気にして、あらゆるプレッシャーを受けながら結婚して上手くいくわけがない。

例えば、あなたのオフィスやクラスにどうしても面倒な人がいるとしよう。ことあることにぶつかってきて、いちいち嫌味を言ってくる人だ。そんな人がいたらそれだけで学校はつまらない場所になり、会社に行くのも嫌になるものだ。仮にその人が高収入でも、身長が高くても、他の人からの評価が高くても、関係ない。

では、そんな人と共に暮らすことが出来るだろうか?家という安心できるはずの場所で、長い時間を一緒に過ごすことが出来るだろうか?共に人生の中で巡り合う困難を乗り越えていくことが出来るだろうか?

そんなことをしたらストレスで死んでしまうかもしれない。考えただけで寒気がするくらいだ。そこに、周りの人がどう思うかという評価基準は関係ない。嫌なものは嫌なのだ。合わない人と共に生活することが極めて困難だということは言うまでもない。これを考えると、個人にとって一般的な基準など無関係ということがよくわかる。

自分なりの基準と

では改めて、いわゆる「高学歴」「高収入」「高身長」という基準で結婚した人は幸せになれるだろうか?結局、運よく人格などのあらゆる要素がマッチするという奇跡でも起きない限りは難しいだろう。

気付くことのできなかった自分の好みを無視して結婚してしまえば、それが見え始めたときにミスマッチを自覚し「これでよかったのだろうか」と大きな不安に駆られてしまうことになるのがおちだ。そして、結婚したら幸せだと言われてきたことに違和感を覚える。

「現実的」な基準に惑わされ、目の前の現実を目のあたりにして落ち込んでいき、あらゆることにストレスを感じ安定した生活などどこか遠くへ行ってしまう。

だから一見セレブのような、嫌味ばかり言う人がたまにいるのだ。幸せという仮面をかぶりながら、延々とマウンティングをしているような、そんな人がいるのはそれが理由だ。表面的には派手で羨ましく見える振る舞いをしながらも、どこか不満を持ち自信が持てない、だからこそ幸せなはずの自分ではなく周りの人にばかり目が行ってしまう。
周りの人が気になって気になって仕方がないから、他人と比較して、自分は幸せなはずなのだと自分に言い聞かせているのだろう。

そんな人々は、自分にとっての幸福とは関係のない、他人の評価の枠組みのなかでもがき続けている。それを繰り返しているうちに、気付けば周りの人に不愉快な思いをさせる人になってしまうのだ。

生涯に渡って共に生きていくパートナーを選ぶのであれば周囲からの評価よりも、もっと重要な要素が山ほどあるだろう。例えば、

「一緒にいて落ち着くこと」
「話さなくても安心して隣にいられること」
「人と違う癖を愛らしいと思えること」
「共に問題に立ち向かえること」
「親や兄弟姉妹よりもあなたの味方になってくれること」

他にも「自分の基準」が必ずあるはずだ。そもそも人の価値というものは、先ほど上げた三高(高身長、高学歴、高収入)のようにたった数個のわかりやすい基準で測れる程単純ではない。人間はその三種類の価値しか持っていないわけではないからだ。実際は、これら三高を持っていても「店員さんにタメ口で話す人」というだけで「この人は無理だ」と思われてしまう。

世の中の矛盾に気づくために

自分の基準で考えることができれば、世間で当たり前のように語られているもの自体が持つ矛盾に気付くことができる。

よくある「婚活」は、最高のパートナーを見つけることではなく、誰かと結婚することが目的になってしまっている傾向があるように、手段が目的となるというのはよくある間違いだ。

今まで散々に言ってきたが、結婚する際に、自分にとっての最高のパートナーを見つけることが出来るのであればそれは素晴らしいことだと思う。自分を本気で愛してくれるパートナーに恵まれれば、心から愛せるパートナーと共に生きることが出来れば、本当の意味で人生に豊かさをもたらしてくれるかもしれない。

しかしながら、現在そういった相手がいないのであれば、無理に結婚しても余計なストレスを抱えるだけだ。合わない相手と結婚してしまえば、自分が毎日ストレスに悩まされるばかりか周囲の人に対して嫉妬し、嫌味ばかりを言ってストレスを与えてしまうことになりかねない。常識通りに幸せになったはずなのに、苦痛に苛まれてしまう。

常識や他人の評価というものは、こういった重大なポイントを考慮できていないことが多い。「こうすれば大丈夫」という根拠の薄い基準が、自分に当てはまる確率は限りなく低いのだ。

自分の人生における重大な決断において、何よりも大事なのは自分自身の基準だろう。それを他者の基準の元に下してしまったときには大きな後悔を負うことになる。「現実的」な幻想に惑わされても良いことは何もない。