いじめもぜんぶ他人のせい

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「いじめをやめなさい」と大人は言う。だが、いじめをしてきたのは大人たちであり、今なおいじめを続けているのも大人であることは疑いようがない。

大人が作ってきたいじめ

この社会では、いわゆる「ハラスメント」が横行している。固定的な上下関係から横暴な態度を押し付けられるパワーハラスメント。女性だからと飲み会の席で上司の隣に座らせられ差別されるセクシャルハラスメント、子供を産むという社会を支える行為を行っているにも関わらず待遇を下げられるマタニティーハラスメントなど、その例を上げ始めればキリがない。

これらのハラスメントに関してはかなり昔から騒がれているのだが、残念なことに一向に無くなる気配がない。それどころか、自己責任論の台頭によって立場の弱い人はより糾弾されやすくなってしまったようにも感じる。これらのいじめは大人によるものだ。

子どもにいじめがやめられるか?

そもそも、自分たち大人がいじめをやめることが出来ないのに、子供にはいじめをやめることが出来ると思っているのは何故だろうか?

まるで大人は何もしなくていいかのように思い込んでいるのは何故だろう?

いじめの問題は、名前を変えて世の中に多く蔓延している。

客から店員へ、上司から部下に対する異様な態度、相手に反論を許さずに、自分はどんな暴言を吐いてもいいという構図はまさしくいじめそのものだ。なんの理由もなく人格攻撃を行い、その人の尊厳を傷つけるように、ただ自分が偉く、相手が偉くないという勘違いの元に、理不尽にも相手を侮辱する。

これらは子供が行ういじめと何ら変わりはなく、共に低俗で理解し難いものではないだろうか。

すべての世代が抱える問題として

いじめや差別の本質は、「何をしてもいい人」を作り出すことにある。罵声を浴びせても、石を投げつけても、許される人。周りの人はそれを笑うか見て見ぬふりをする。悲しいことにこの社会には「何をしてもいい人」が作られてしまうことがある。

大人同士であれば丁寧語は必須であるのに何故かアルバイトにはタメ口が許されたり、虐められている子には侮辱するようなあだ名で呼ぶことが許されている。

特定の芸能人が関係のない私生活を延々と暴露され好き勝手言われるように、大衆メディアであるテレビや新聞がそれをやっているのだから目も当てられない。

まずは自分たちがこのくだらないいじめをやめてから、「こうやって人を差別したり、攻撃したりするのを止めることが出来たんだ」と語るべきではないだろうか。

実際にそれが難しいならせめて「私たち大人にもわからないから一緒に考えよう」という姿勢を見せるのが先だろう。そうすれば、意外と子供たちの方から解決策を示してくれるかもしれない。

誰かを虐げる文化は特定の世代ではなくこの社会全体が持っている歪みだ。当事者意識を持たずにこの歪みを正していくことなど出来はしない。

いじめ問題は世間をにぎわせることが多く、様々な人たちが悲しみ、また疑問を投げかけるが、実はまだ解決へ向かうスタートラインにすら立っていないのではないだろうか。

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