「いじめられる人間にも理由がある」という言い訳がくだらないという話

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いじめの問題に対して一部で「いじめられる人間にも理由がある」という言葉が発せられることがある。

ちなみにこの言葉は、意見でも何でもない。「理由がある…」だから何なのか、その説明がなされていない。

理由があるから、人を攻撃していいという意見なのか、理由があるからどうすればいいという提案なのかも不明だ。世の中にはこういう意見でも何でもない余計な一言が存在するわけだが、これも代表的な一つだ。

「いじめられる理由がある」というこの一言について言えば(本来は意見ですらないので何も言うことはないのだが)、理由があるから何なのか?という話だ。

人を攻撃する理由なんていくらでも作ることが出来る。

あいつは話すのがトロい。早口で気持ち悪い。
あいつは暗くて変だ。テンション高すぎてうざい。
カッコつけてる。ぶりっこしてる。
何の長所もない。あいつだけ違う。

どんな人間にだって悪い理由を見つけることはできるのだ。とても簡単に。何故ならどのようなことも短所として言い換えることが出来るからだ。

つまり適当にイジメていい理由を作り出し、それをもとに攻撃する。それの何が正しいのだろうか?少なくとも恐喝や暴行を加えていい理由にはならないのは明白だ。

上記に上げたものはすべて言い方を変えることができる。

ゆっくり話してくれて安心する。テキパキ喋ってくれてわかりやすい。
落ち着いていて冷静だ。明るく元気でいい。
かっこいい。かわいい。
安定している。能力がある。

どれも言い方、捉え方題でまるで変ってくるものだ。

理由なんていうものは恣意的に作ることができて、そんなものは他人を攻撃していい権利にはならないということだ。

個人的には、誰とでも仲良くしなければいけないとは思わない。そんなものは馬鹿げてるとさえ思う。どうしても合わない人間はいるし、無理に仲良くしようとすれば余計な問題さえ生みかねない。だが、わざわざ攻撃をするのはやはりおかしい。

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