出る杭は打たれるが、出ることのない杭は腐っていく

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出る杭は打たれるとはよく言われる。では出なかった杭はどうなるのだろうか。

能力の秀でた人、慣習に屈せずに自ら考える人のことを出る杭に例えることがよくある。日本人は出る杭が嫌いで少しでも出ることがあればすぐに打たれてしまうと。

ではその反面出ることのない杭のことが語られることはあまりない。

出る杭は確かに打たれるが、杭が腐った土壌の中に居座れば、その杭は穢れた土の中で腐っていく。

そんな環境の中で、新鮮な空気を吸おうと飛び出し、他の場所へ飛び出すのは自然なことだ。より適した環境に力強く突き刺さることの方がよっぽど健全なのだろう。人には杭や植物と違って足がある。埋められた場で咲く必要などないのだ。

人は、周りの環境の影響を強く受ける生き物だ。良くも悪くも、適応能力にとても優れている。

優秀な人間のいる環境に身を置けば、自らもそれに引っ張られる形で優秀になっていく。酷い人間の中に居れば、自らの人間性をも堕落させていく。

ヤンキー仲間と遊びだした中学生がヤンキーらしくなっていくように。虐待を受けた母親が子供に虐待をしてしまうように。パワハラが横行するブラック企業で社員がそれを容認するように、人は適応する。

腐った人間関係の中に身を置けば、自らの精神をも浸食されていくもの。

出ない杭は腐っていくのだ。

適応というのは必ずしもいい言葉ではない。人は努力することにも、自堕落に過ごすことにも、悪事を働くことにも慣れていく。その高い適応能力があるからこそ自らの居場所は慎重に選ばなければならない。そうしなければ成長するどころか足を引っ張られかねない。

もしブラック企業に勤めているなら、その会社を辞める決断をする必要があるかもしれない。もし悪い友人の輪の中にいるのであれば、その友人たちとは距離を置く必要があるかもしれない。そうでなければ人は適応してしまう。腐った環境の中で同じように腐ってしまう。

もしその環境が素晴らしい場所であるならば、そこから出る必要はないのだろう。その素晴らしい場所が素晴らしい間、そこにしっかり突き刺さっていればいい。

だが、その環境が腐っているのであれば、今すぐにでも飛び出す必要があるのかもしれない。

出る杭は打たれるが、出ない杭は腐っていくのだから。

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