意識高い系と意識低い系の争い

よく二極論で争っていることがある。まるでどちらかに正解があると勘違いしているかのように。正解なんてどちらにもないかもしれないのに。
意識が低ければいいのか、高ければいいのか
世の中というものはあまり知識のない人に優しくない。
文字の読めない人が給料を誤魔化されるように、知識のない人には不利を強いても気づくことや抗うことができない。
実際、意識が低ければ、人の都合のいいように搾取され、意識が高ければ高額なセミナーや分の悪い投資に騙される。
それらにどう対処をすればいいのかといえば、結局知識を付けるしかない。
そんな中で、意識低い系であれば、少しでも知的なことに拒否反応を起こし「そういうのはカッコつけがやることだから」と言って考えることを拒否し、意識高い系であれは「難しいことを考えないのは思考停止だ」とこれ見よがしに言ってしまう。
どちらにも共通するのは「相手に押し付けている」というところだろう。他人の態度を改めることはできない。いくら自分の望む方向に正そうとしたところで無駄なのだ。どちらにも必要なのは相手のことを考える想像力か。
今は知的であろうとすることにコンプレックスを抱いたり攻撃したりすることが目立って感じるが、はっきり言ってこれはあまりいい傾向ではないだろう。反知性とか反エリート主義ともいうが、足の引っ張り合いは自らの立場を崩すような危険な行為だ。
ちなみに意識高いとか意識低いとかいう「つまらないレッテル張り」の言葉を使ったが、基本的にはこういった言葉は気にするべきではない。
安易にカテゴライズしたところでメリットは何もないし、実際はは今まで考えることをしてこなかったけど自分で考え始めた人、なるべく社会のこと考えて努力していたけど馬鹿にされてそれを止めてしまった人、など様々だろう。
その枠に押しとどめたところで、少なくとも私は何の得もしない。
実際、多少知識を付けたつもりでも、ずっと勉強を続けている人にはなかなか敵わない。逆に勉強することをやめた人になら簡単に勝ることも出来るだろう。
だが人と比べたり他人をどうこうしようとしてもそこに意味はないことは、明確にしておかなければならない。やはり自分が賢くなるしかないのだ。
勉強とは学生がやるものではなく、人間がするものだ。周りがどう見るかを気にする時間があるのであれば、自らの知識を増やしていくことの方がずっと大事なのだと思う。