「感謝されないのに子供のためにやりたくない」は我儘では

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待機児童や虐待、格差社会や大量に使いつくされる資源と燃料、50基もある原発など、次の世代へ残してしまう負債はあまりにも大きい。

しかし、子供たちや未来への政策を語るときに、こういった言葉を聞くことがある。

「感謝もされないのにそんなことしたくないと」

それは、いったい何を言っているのだろうか?

子供たちや次の世代のために、よりよい社会を受け継ぐのは大人の役割だ。感謝を求めていること事態が筋違いであるだろう。

自分達の前に何百何千年と歴史が続いていることを知らないのだろうか、自分より前の何十何百もあった世代に感謝はあるのだろうか?あなたはどうして文字が読めるのだろうか?あなたの回りに文字を教える大人がいたからだろう。それを繋いできた人たちがいたからだろう。

「感謝されないから」といった発言からは、感謝を求めながらもこれまで続いてきた人類への感謝を微塵も感じられない。

子供達や新しい世代のためによりよい社会を作ることは大人の仕事だ。

感謝されるためでも偉そうにふんぞり返ることでもない。

恐らく、そういった言葉が出てくるのは、どこかでその言葉を聞いたことがあるからだろう。テレビ等の媒体かもしれない。どこかで聞いたことを自分の意見と勘違いしてそのまま口から出してしまうことは、誰にでもあり得ることだ。明らかにそんな思考を感じない人からも、このような発言が出ることにはきっとそんな要因もあるのだろう。

自分の考えのつもりが、誰かの思惑をそのまま流すスピーカーのようになっていることは人が思うよりもずっと多い。

私が自分より若い人に知っていることを教えるのは、自分の技術を提供するのは、それが大人の仕事だからだ。人は常に役割を変えながら生きている。

子供の時は大人に学び、大人になれば子供に教えまた子供に学び、老人になれば子供や大人に教え、また教えられる。

常に移り変わり、途中で命を落とすことさえなければそのすべての役割を担っていくのが人間だ。それならば途中で放棄するのはあまりにも我儘というものだろう。

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