利害関係のない人間関係の重要性

ほとんどの人間関係は利害関係によって縛られている。
人間関係には、家族や友人といった近しいものから、先輩や後輩、上司や部下といった関係まで様々なものがあるが、そのどれもに利害や立場といった価値観が付きまとう。
しかしながら、利害関係が生じている相手に自分の本心を打ち明けることは非常に難しい。
関係性の薄いつながり
人が自らの胸に秘めた本心を語ることは難しい。それは近しい友人であっても、社会的に定められた関係であれば尚更だ。
だが、時には関係性など何も考えずに自分の気持ちを打ち明けたいときもある。
そんなときに大事になるのは「利害関係のない相手」だ。
何か悩みがあるときに、
友人にカッコ悪いと思われたくないからこの話をしたくない
家族に迷惑をかけたくないから話さないようにする
先輩や後輩に弱みを握られたくないから表には出さないでおく
こういった、関わりがあるからこそ、話すという行為のブレーキになることは意外にも多い。
例えば、学校や社内でいじめにあったとき、友人にそれを打ち明けることは難しいだろう。家族に話したら心配されるし、後輩にこんなこと言えるわけがない。そうなったら、自分の本心を話せる相手なんていなくなってしまうのだ。
しかしそれは大変リスクが高い。他の選択肢を見いだせず、悪い状況から抜け出せなくなってしまうことも多いだろう。
そんな状況で唯一話すことが出来る可能性を持つのは、直接的に利害関係のない人だ。
利害のない人間関係
直接の利害関係のない人とは基本的に、普段生活するコミュニティの外にいる人物のことだ。
とにかく関係性を大事にするような考え方もあるが。、関係のない人だから言えることもあるだろう。普段関わる人だからこそ言えない事情なんていくらでもある。
相談することによって自分の立場が不利になる可能性がある相手に、相談なんて出来る訳がないのだから。
現代の問題点は、人々がそれぞれカテゴリーごとに分離されていて、普通にしていては似たような人たちとばかり関わることになることでもある。だからこそ狭い村社会のローカルルールの中で苦しむことになる。
枠組みの外にいる人間こそが重要なのだ。高校生にとっての大学生のお姉さんであったり、大学生にとっての会社員のお兄さんであったり、同じ枠組みに居ない、上下関係が発生しない関係性が大事だ。
関係がないからこそ、自分はこうなんだと、本当は今こんな状況にいるんだと話すことが出来ることがある。
それは外の世界を知るきっかけにもなる。学校や会社という小さな社会の考えだけではなく、外の社会の考え方を知るきっかけになるのだ。自分の所属する世界ではまるで悪いことのように言われていたことが、別のコミュニティでは良いことだと認められることもある。
ちょっと外の世界にいる人と関係を持つことは、相談ごとをするとき、あるいは価値観を広げる際にもとても役に立つ。