「安定」という選択のリスク

安定という道にリスクがあることを、大人は語りたがらない。自分の選ばなかった道が「もうそこにはない」ことを認めたくないからだ。今回はそんなリスクについて話そう。
人生の時間というものは限りあるものだ。
もっとやりたいことがあるからと言って延長できるわけではない。
健康に気をつけてなるべく長く生きることも、出来るだけ歩き続ける時間を長くすることも出来るが、それでも命は限りあるもので、突然終わってしまうことすらある。それを考慮した上で、何かを選ぶことについて考える。
何かを選択するということ
何かを選択するということは、何かを選ばないということでもある。
あなたを何かを選んだということは、それと同時に別の選択肢を選ばなかった意味を持つ。
安定した道を選んだ先も、別の選択肢がいつまでも待ってくれるなんて保証はいったい誰がしてくれるのだろうか?
困難に見えるが本当に何かやりたいことがある道と、
安定して問題なく過ごせそうな道が自分の目の前にある。
「困難な道を行くにはまだ準備が出来ていないから、もっと資金がたまってから」と安定した道を進んだとする。
しかし振り返ったときにその困難な道への入り口は既に無くなっているだろう。
そして2度とその道を選ぶこともない。
残り続ける自分で選ばなかった後悔
その道が安定していようが困難であろうが、あなたが本当に望む選択であれば何も問題はない。一番の問題は、自分が本当に望んでないものを選んでしまった結果、その選択肢を失ってしまうことだ。
「誰かが言っていたからやった」「これが良いと言われていたから行動した」それは事実でも、自分で選択したという責任を失う。人に選ばされた選択は言い訳を生むだけで、選択に責任を取ることしかできなくなってしまう。
これはとても大きなリスクだ。すべてが他人が決めたことで「他人の責任」になってしまったとき、人は自分で考えた道に進むことが出来るのだろうか?
自由に考え行動することには責任が伴う。その責任を恐れるようになってしまった道の先で、困難とされる道に進むことが出来るだろうか?
全ての選択は自分に関わる
どんな道を選んでも、どんなことをやらなかったとしても、その先の人生を生きるのは間違いなくあなた自身だ。
勉強しなかった先の人生を生きるのもあなただし、人に勧められて入った企業の中で働くのもあなただし、自分のやりたいことをするのもあなただ。
どんな選択も全て自分の未来に直接関わるものだ。
それが理解できて初めて、「困難な道」をリスクと考えていた時と同じように「安定した道」もリスクであることに気付く。その「安定した道」は一方通行で、再び戻ることを許さないかもしれない。