受け継ぐ能力が高すぎるのは問題でもあるのではないだろうか?

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部活での上下関係や、小学生がトイレに行けない問題など。日本人は一つの組織でいつまでも同じ文化が残り続ける傾向がある。

引継ぎ過ぎる日本人

学校でたった1年(短い場合は数日)早く生まれただけでアホみたいに威張りだすのも、パワハラを受けた部下が上司になり部下にパワハラを行うようになるのも、その「小さな社会」の文化を受け継いでしまうからだろう。

これを社会のルールだと勘違いしてしまえば、他の人にまでそれを押し付けることになる。

最近、小学生がトイレに行くのが恥ずかしくてトイレに行くことが出来ない。だから全部個室にしよう。というニュースがあったのはご存じだろうか?内容は今時トイレに行くのが恥ずかしくて我慢してしまうという話。

私が通っていた十年以上前の小学校でもそういった風潮があったし、今の50代のおじさんが小学生時代トイレに行くのが恥ずかしくて…という話をすることがある。

そう、これは何十年も前から受け継がれてきた価値観なのだ。昭和のアイドルはトイレに行かないとか言われてたし、戦中に天皇は神様だからトイレに行かないと教育されたと80過ぎのお婆さんが話していた。

トイレの話ばかりでなんだか申し訳ないが。どうやら日本人には何の疑いもなく価値観をそのまま受け継いでいく傾向があるらしい。

他にも、部活という3年で入れ替わる回転の早い組織でも、同じ上下関係が永遠と受け継がれている。企業でも明らかに時代遅れの体質をいつまでも引きずり、不祥事を出している事件が後を絶えない。

どうしてここまで昔のことを引きずることが出来るのだろうか。大きな要因としては主に2つあると考えられる。

受け継いできた年功序列的な思考

一つは年功序列という体制。

常に上で正しいとされる人がいる限り、上じゃない人が見た問題点や不満点は軽視されやすい。そして自分が上になったときには、そのままの方が心地よいのだから誰も変えたがらないだろう。やっと敬語をを使われる立場になったのに「くだらないからやめにしよう」なんて言えない。と自分の主観を大事にするようになり、その立場では主観で判断が出来てしまうことを知るのだ。

唯一その異変に気付くことができる新しい人たちに発言権はない。という致命的な欠陥を抱えている。

自分が経験したものは正しいという思い込み

もう一つは自分がされたことを正しいと思いたい心理的なバイアスだ。

人は自分がされてきたこと。自分がしてきたことを。「何か意味のある正しい行いだった」と思いたがる傾向がある。
自分が体罰をされてきたなら、「あれは必要なことだったんだ」と思いたがるし、過度な上下関係を押し付けられてきたなら「これのおかげで頑張れた」と思いたがるのだ。そうしなければ精神の安定を保てないから。

自分がされてきた「辛かったこと」が正しいことではなく間違ってたことなんて認めてしまったら冷静ではいられなくなってしまう。どうして自分がそれを我慢していたのか分からなくなってしまう。まあ、ここには感情的になってしまうほどの苦痛を伴う出来事だという自覚がある時点で矛盾があるのだが。

これでヒステリックになり論理的な根拠すら認められないことは多い。実際にも何度もそんな事例を見てきた。意外と「しっかりしている人」と思っても感情的になり話が聴けなくなってしまうものだ。あくまで一般的な、統計的な話をしているのに、まるで自分が否定されているような態度をとる。

良い文化は受け継ぎ悪い文化は受け継がないために

以上のようなことから、悪い文化を受け継いでしまう仕組みが出来上がっていく。どちらも自分に都合がいいから受け継がれるもので、「良い文化も受け継ぐ」という言葉では正当化できるものではない。自分のために自分に都合のいいものが受け継がれていくのだ。第一、良い文化は他の方法で受け継げるし、受け継がなくても新しく良い文化を作っていけばいい。

私自身も、昔にもいい文化や考え方はあると思うし、それは現代でも利用するべきだと考える。そしてそれが時代に合わなくなったときは、また考えるべきなのだろう。

良いものは改善しより良いものに、悪いものは断ち切る。そういった、一見当たり前にも思える取捨選択が大切なのだ。

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