若者の〇〇離れという言葉がくだらない理由

スポンサーリンク

 

あなたは〇〇離れという言葉をどう思うだろうか?「そもそも近づいてねえよ」という声が聞こえてきそうだが。その言葉通りだろう。

乱用される若者の〇〇離れ

この言葉を口にする人が「そもそも近づいてすらいないこと」に気付いているのかはわからないが、残念ながらTVやネット記事でこの言葉が使われることが多い。若者の車離れだとか、若者の酒離れだとか、〇〇離れという言葉は便利なのだ。

こういった言葉は、いつまでも過去を捨てられない、現実を見ることが出来ない人の嘆きなのだから、放っておけばいいのかもしれない。しかし、自分が若いころが正しくて、今が間違っているかの様な姿勢はいただけない。

例えば車に関して言えば、都会に住んでいれば必要がないから要らないという人が多いだろう。車持っている男がカッコいいなんて言うバブル期の広告に踊らされる訳がない。維持費もかかる上に場所も取る、そして駐車場にもまた金がかかるだろう。

若者の所得が減る中で車というのは大きな負債でもあるのだ。所持しているだけでお金を消耗するため、経済的に車を所持することが難しい。年金や税金に高いお金を取られる今、若者が車に回すお金などないのだ。

当然、田舎や地理的に車が必須の場所に住んでいる人にとってはまた条件が違うだろう。しかしそれは近づく離れるの問題ではない。代替する移動手段があるのであれば1つの媒体にこだわる必要なんてそもそもない。電車が適しているのなら電車を使えばいいし、自転車が適していれば自転車を使えばいい。

言うまでもないが、昔からあるものが正しいなんていう根拠はどこにもない。その論理で言えば、今より何十年も前の戦争をしていた時代が正しいし、それより前の江戸時代の方が凄く正しいし、ずっと前の石器とか使ってた時代の方がとんでもなく正しいことになってしまう。そんな論理はあまりにも馬鹿げているだろう。

「昔=正しい」ではない

もし仮に、1万歩くらい譲って、昔=正しいであるなら、我々は何一つ考えなくていいし、新しいことは何一つしなくていいことになる。

昔のものが正しいのだから、高度経済成長期のように公害を垂れ流していればいいし、ストレスが異様に増えて自殺者が増えたって気にする必要はない。昭和のときのように人の住所や個人情報を新聞に乗っけていればいいし、電車に窓から乗り込んだり、窓から吸い殻や淡を吐き出していればいい。参考:「昔はよかった」はホント?実は昭和のマナーやモラルはとんでもないものだった

果たしてそうだろうか?私は昔の状態をいいとは思わないし、驚くほど美化されている「昔」を無条件に受け入れることはできない。夢を見るのは勝手だが、押しつけがましいのはよくない。それに事実を調べればその見た目が立派な皮はすぐに剥がれ落ちてしまう。

別に過去が悪いわけでもないし今が良いわけでもない。良い部分も悪い部分もあって当たり前だ。だが一遍的な見方をしてしまうと大きな歪みが生じてしまう。勝手に「昔=正しい」という謎論理が誕生してしまう。

今は、「若者の〇〇離れが深刻!」なんてタイトルで番組やったりニュースを書けば人が注目してくれるのだろう。別に深刻なのはその人の頭の中で、我々にとっては問題じゃなくても関係ないのだ。

日々消費されていくただのコンテンツの1つというのが実態なのだろう。やはり、若者の〇〇離れという言葉はくだらない。

スポンサーリンク