複数のコミュニティを持つこと:人間関係の悩みを根本から変える考え方

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今自分がいる場所と異なるコミュニティに行くことができる。その可能性を知っているか、知っていないかで人間関係の悩みが全く違ったものになる。

「ここで上手くいかなくても他のところでは気が合う人がいるかもしれない」

「この場所はこういう傾向が強いけど、向こうの場所ではもっと気楽に過ごせるだろう」

そんな存在して当たり前な可能性を多くの人は見ることができていない。

コミュニティにより異なる価値観

この世界には数えきれないほどのコミュニティが存在する。人間一人が把握できるよりずっと多く。

その中には「自分に合う場所」も、「特に何も感じない場所」も、「少し居心地が悪い場所」もあるだろう。だが、たった一つのコミュニティの中で、一度決められたキャラクターの中で苦しみ続ける必要はないのだ。

「ここでダメならどこ行ってもだめ」だとか、「逃げることになる」なんて言葉を無責任に吐く人がいるが、気にする必要は全くない。

第一に、「無数に存在するコミュニティが全て自分に合わない」なんて結論付けてしまうのは無理があり過ぎる。どう考えても自分の知らないコミュニティの方が多く、その知らないものが全て同じなんて根拠はもちろんない。

逃げるも何も、現実的に考えて何十億といる全ての人と関わるのは物理的に不可能なのだから、逃げるとか戦うという概念はそもそも的外れなのだ。どう考えてもすべてのコミュニティと戦うことは出来ない。全ての物と逃げずに戦えと、そんな考え無しの狂犬的に生きろなんて馬鹿げていると思わないだろうか。

だから、そういった根拠のない言葉は気にしなくていい。「どこに行ってもダメ」なんて悲観的な「あなたを縛ろうとする制限」を受け入れてはいけない。

私とあなたの考えが違うように、コミュニティによって価値観や常識もまるで異なってくる。

駅ですれ違ったサラリーマンの所属する職場の常識と社会の常識は違うし、友人と噂話を楽しむ学生のクラスの常識と私の周りの常識は違う。そして社会の常識と世界の常識も違う。場所によって良いとされていることも当然違うのだ。

自分に合わない「常識」の中で過ごすことはあまりに苦しい。

これを見て見ぬふりすることはお勧めしない。なぜならそこに新たな人間関係という可能性に気づけるヒントがあるからだ。

複数のコミュニティを持つということ

自分が普段過ごす場所以外にコミュニティを持つ。新しい人間関係の築き方だ。

誰かに嫌われたとしても、どうしても相性の合わない人間がいたとしても、新たな場所へ進むことができる。この進み続けられる強さは混沌とした今の時代において非常に有益であると私は考える。

もしその可能性を知らないと、1つの場所で失敗しただけで世界の終わりのように感じてしまうことがある。

人間関係に悩む学生達も、早い時期からそれを知ることができたら、苦しい思いをすることも少なくなるのではないかと思わずにはいられない。少なくとも、たった数人に嫌われただけで「これで人生が終わった」なんて思わないで済む。

私は、人の争いは全て権力争いに起因すると考える。そこにしか居場所がないから必死でマウンティングして、必死で自分は偉いんだと思いたがる。誰かを蹴落として笑いものにしてでも自分の地位を安定したものにしたがる。学生がやることも会社員がやることも基本的に同じだ。同じ所属の人間同士でお互いに首を絞めあって、その今にも崩れそうな偽りの地位を守ろうとする。

その過程でそれに疑問や違和感を持つ人たちが嫌な思いをして、苦しんでいくはめになる。

だが、そこに別の可能性があれば、必要以上に他人に嫌な思いをさせたり、自分が嫌な場所に居座らずに済む。

スポーツや趣味のコミュニティでも、今の仕事や学校と関係のない友達の集まりだっていい。複数の居場所はあなたの心に安心や余裕をもたらす。

それだけではなく、今まで気づけなかった自分の一面に気づけることもあるだろう。場が変われば評価も変わるのだ。

心のゆとりがあればより自分らしく周りの人間に接することも出来るかもしれない。自分にあったコミュニティを持つことは日々の生活を大きく変えるだろう。

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