SMAP解散で彼らが謝る必要はあるのか

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SMAP解散報道に関して大きな違和感がある。それはなぜ解散の報告が謝罪なのかということだ。

彼らが本当に解散を望むのであれば「今まで応援してくれてありがとう!」とアイドルらしく感謝を伝え、1つのグループとしての活動に終止符を打ち、それぞれが新しく人生を歩めばいいと思う。

しかし何故か彼らの表情や発言はどこか重々しく、これからの人生に希望を持っているようには感じられない。

彼らが行ったのはこれまでの感謝や新しい道を歩む報告ではなく謝罪だ。

残念ながら単に「彼らの仲が悪くなった」だけでこのような形になったと考えることは難しい。それを譜面通り信じている人はほぼいないだろう。明らかに確執を残しながらもそのまま所属し続けるなど引っかかる点が多く、広がった違和感を拭えない。そう、この謝罪は少しおかしい。

誰かを悪者にしないと気が済まない大人

2016年1月の会見では安易に「存続してよかった」という流れにはならなかった。

「謝罪させられているように見える」「誰に向けての謝罪なのか」「彼らが可哀想だ」などあの異様な会見に疑問を感じるファンの声が止まらなかった。会社の用意したストーリーとは裏腹に社会の反応は彼らを守ろうとするものだった。BPO(放送倫理・番組向上機構)には1月で2800件にも及ぶ意見が寄せられ、あの会見を会社によるパワハラだと見る人が多くいた。

結果的に単なる謝罪会見では済まなかった。奇しくも高視聴率を記録したこの会見は、誰かを悪者として謝罪させて済ませようとする日本社会の稚拙な部分が多くの視聴者に露見する場となった。アイドルを通して見たい部分ではなかったがこれが彼らを取り巻く環境の現実なのだろう。

雇用者が被雇用者の意見を捻じ曲げる。それは芸能人だけの問題ではく日本社会が抱える問題でもある。だが仕事だから仕方ないという屁理屈は通らない。仕事だと言うのなら尚更、個人に頼り切って、人生にまで負担を強いるというのは許されないだろう。それは会社の甘え以外の何物でもない。

今回見えてきたのは彼らの未来への選択ではなく、社会の闇の部分だった。やはり私はSMAPが会見で謝る必要性を全く感じない。どうも誰かを悪者にしないと気が済まないようだ。

謝罪するよりも、今まで多くの歌や演技で勇気づけられたファンが彼らに感謝の気持ちを伝えればそれでいいのではないかと思う。

彼らは彼らの人生を歩めばいい。彼らの選択の後の人生を生きるのは他でもない彼ら自身だ。他の誰かの言うとおりにしたって誰も責任なんて取らない。

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