公正中立な教育とその先にある偏った社会

スポンサーリンク

 

政治的なバランスの調査が学校で行われたという。しかし、誰にとっての中立でこの先の教育はなされていくのだろうか。

以前から政治に関わらず学校教育では公正中立が叫ばれているが、踏み込んだ話をするには具体的な内容は避けられないし、何より実際の社会のことを学ばずにして政治の何を語れるのだろうか。

内容によっては特定の政党の痛い部分であったり、力を入れいている部分であったりするのは当たり前のように思う。原発の話をされたくない、あるいは軍事、経済、外交、社会保障などそれぞれ触れてほしい部分や触れてほしくない部分が政党ごとにあるのは言うまでもないだろう。

だが、それらの内容に具体的に踏み込めない教育は果たして「公正中立でバランスの取れた」教育なのだろうか。特定の分野に強みを持ち特定の分野に弱みを持つのは政党の勝手であり強みでもあるが、国民は嫌でもそれらに関わらなければならないし、当然それを知る権利がある。学問の分野に政治的な中立を持ち込むこと自体がナンセンスだと私は思う。

中立という名の偏り

世の中は偏りで溢れている。多くの学生がその後勤めることになる会社も、会社ごとに村社会がありそれぞれのローカルルールを持つ。そこは中立性とは程遠い偏った世界だ。

例えば一つの例として、私の知り合いに大手保険会社に勤めていた方がいる。就職ランキングにも乗る知名度の高い会社だ。そこでは組織のローカルな思考がとても強く、旧時代の精神論が常識となっていてパワハラが横行していたという。上司が毎日のように怒りトレーナーを泣かせていて、そこに働く社員は定時で仕事終わりのはずの時間にアポイントを取るように指示され、さらには休日まで電話営業をさせられている実態があると話していた。その中で精神を病む人たちも多く食事をできなくなったりストレスによって明らかな体調不良を訴える方が絶えないという。

いわゆるブラック企業の話は世の中に溢れているのでどこかで似たような話や、もっとひどい例を知っている人もいるのではないだろうか。

そして中立的な教育を受けてきた元学生たちが、会社に入りここでまた正解を教えられる。「社会とはこういうものだ」こうするのが正解だと独自の文化をさも絶対のように教え込む。

勿論上記の様な極端な会社ばかりではないのは承知している。しかし大なり小なり組織にはローカルルールが存在するものだ。

常に正解があり、言われたものを一字一句間違えないように答えるテストという訓練を受け続けてきた子たちがその真に偏ったものに触れたとき、それを正解だとそのまま受け取ってしまうことが懸念される。どれだけ悪い風習でも、誰かを傷つける方法でもそれを受け継いでいく恐れがある。実際に悪い風習はそれぞれの組織で受け継がれているだろう。上の世代がいなくなったから軍隊的な上下関係がなくなったなんて話は残念ながらなかなか耳にすることはない。部活という入れ替わりの早い小さい組織でさえそうだろう。

まずは偏りを知ることだ。多様な考えや価値観を知って初めて何かが正解だと妄信せずに自分の判断が下せるようになる。そもそも特定の正解が決められていることが偏りだ。

この世の中には残念ながら100%正しいものは存在しえないし、完全に可能性のないものも存在しえない。だからこそより確からしいものを選ぶために多くのことを知って、そこから考えていく能力を養う教育が必要なのではないだろうか。

スポンサーリンク