投票率を上げる必要はあるのか?

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投票率を上げようという話は昔から聞くが、その意見の大半は投票の義務化などに留まる。しかしながら、それは投票率が低い原因とは無関係だ。

政治に対する無関心は私たちの生活の中にある。何かを悪者にして嘆いたところで何も変化は訪れない。ただ悪化の一途を辿ることになるだけ。変わる必要があるのは常に私たちだ。

なぜ投票率が低いのか

なぜ投票率が低いのか。その原因を探ろう。

投票率が低いという数字が具体的に示すものは「投票に行かない」ということだ。では投票に行かない理由ととして何があげられるだろうか。

投票に行かない理由
・興味がない
・行くのが面倒
・投票したい政治家または政党がない
・そもそも選挙がよくわからない
・選挙よりも他の予定がある

代表的なのはこの辺りではないだろうか。これらの理由を並べると共通する問題が見えてくる。選挙に行かない理由の多くは「選挙を知らないこと」から始まるということだ。

選挙とは何かを知らなければ興味を持つことすら難しく、良く知らない選挙に行くことなんてさらに困難だということは容易に想像できる。

投票したい政治家がいないというのも政治に対する知識がなければ、現状どの政治家に投票するのがベストか比較し考えることも出来ない上に、世の中の流れや実際の数字を見ながら、今回はここに入れようなど他の選択の方法を知ることも出来ない。

選挙がわからない、他の予定があるというのもまさに知らないからこその理由だ。投票の仕方、期日前投票や不在者投票などそもそもどういった投票の方法があるのかを学ばなければ投票という行動に出ることは出来ない。

2016年の参議院選挙では選挙権年齢が18歳に引き下げられた。さっそく投票率の話題には事欠かなくなり、ワースト4位となった投票率を上げるにはどうすればいいのかという意見が多く聞くようになった。

18歳に引き下げられた理由の多くは海外では18歳が普通だからだと言われている。それ自体には問題はなく、海外の良い部分を見習うのは良いことだと思う。

だが他の多くの「海外では普通だ」という理由で採用される方法と同じように、問題はそれ以外の部分を見落としていることにある。

その海外では日頃から主権者教育が行われており、投票の方法はもちろん普段から政治に関するディベートを行っていたり、政府が出す情報をどのように受け取るべきか、メディアが出す情報を批判的に判断し自分なりに受け取るメディアリテラシーの教育など選挙に関わるために必要な能力が身に着けられるようになっている。

つまり若い内から主権者としてのリテラシーが備わっているのだ。少なくとも、その機会を得ている。

しかし、その点で日本人はどうだろうか?公平中立という胡散臭い言葉の元に授業が行われ、政党の名前を出すことすらはばかられているのが現状だ。

その上で教育現場での政治的中立性を保つようにと一つの政党が指令を出す始末。果たしてこの状況でどうやって自分で考え判断できる有権者を育てるのだろう?

それを容認している大人たちに投票率が低いなどと文句をつけられている若者は不遇ですらある。

必要なのは私たちが変わること

日本ではこれから18歳になる新しい人達はおろか、大人もこれだけの能力を身に着けている人はハッキリ言って少数だと感じる。

国民全体が教育を受ける必要があるほど選挙に対して幼い日本人が強制的に投票率を上げたところで良い変化があるとは考えられない。選挙権を引き下げたり、投票率を上げようとする以前にやるべきことが山ほどあるのだ。

この状況の中で選挙での投票率にこだわること自体がナンセンスなのではないか。この問題が果たして本当に根本的な問題なのか疑う必要があるだろう。

それよりも前に私たちにはするべきことがある。いつの間にか生活から離れ関わりづらくなってしまった政治の距離を埋めるためにできることがある。

普段の生活の中でに政治について話すようになることは今すぐにでもできるのだ。政治が身近になり、選挙に対して関心が高まった副次的な結果として投票率も改善されるかもしれない。

必要なのは知ることだ。そして違う意見を認めること。

政治は非日常的なことではないし、普段の生活の中で関わる部分だ。今まで勝手に政治をタブーにして、勝手に自分と意見の違う人を攻撃して、すぐそこにあるものを遠ざけてきた結果が今なのだ。

知識を得ることでそれに関連する情報を日常の中で認識できるようになり、違う意見を認めることで社会としても新たな考えを受け入れ易くなり自分の意見を話しやすくもなる。

そういった日常的な部分で政治を自分たちの元に取り戻していく作業が必要だ。制度や大きな変革を待っている限り何も変えることは出来ない。

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