年上のアドバイスを無条件に受け入れる必要はない

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年上のアドバイスは受け入れるべきだ。その考えが常識とされることが多々あるが、果たしてこれは正しいのだろうか?

結論を言ってしまえば、役に立つアドバイスも全く役に立たないアドバイスもある。

所詮アドバイスはその人個人の考えであり絶対的な指標ではない。それが自分のケースでも有用なこともあれば、逆に有害になる場合だってある。

ここでアドバイスする側の視点に立ってイメージしてみよう。

もし今のあなたが20代だったとして、数十年後アドバイスをする側の立場になったことをイメージしてみよう。

時代遅れの正解

ここでは20年後、あるいは30年後の世界を想定しよう。

世界の人口は20億人も増え(これは中国がもう一つ地球上に誕生する程の規模だ)、日本の人口は2000万人ほど減少する(東京都の人が丸ごと消えるほどの規模になる)。化石燃料などの資源は枯渇し今のように散財することは出来なくなるだろう。

また世界的な人口の増加により水や食料などの資源はより貴重なものとなる。そのために既に昆虫食なども研究されている。

大雑把に想像してもこんなものだろう。

数十年時代が違えば私たちを取り巻く社会的な環境が全く異なってくるのだ。

果たしてこの未来で、あなたが現代で過ごした20代の話を、「私が20代の時はこのように仕事していた」と常識のようにその時の若者に話したとしてこの話が彼らにとって有用だろうか?

時代が違えば世界の状況も当然違う、身の回りにあるものや必要とされるものまで変わってくる。そんな現実を無視して「自分がこうだったから同じようにするのが正しい、どうしてそれができないんだ」ということは正しいのだろうか?

よく考えてほしい、その時代遅れの価値観を押し付けることによって相手に迷惑をかけていないだろうか?

想像することによって、考えることによってそれが正しいのかどうかが少しずつ見えてくるだろう。

それを有用か有害かを判断するのはあくまで受け手側の人間だということを知ることが必要だ。

受け入れるべきは自ら選択した言葉

ここで注意してほしいのが、年上全員のアドバイスを聞くなと言っているわけではないこと。

これは、ただ年上というだけの理由でアドバイスを受け入れるべきではないという提案だ。

当然、中には素晴らしいアドバイスをしてくれる人があなたの周りにもいるかもしれない。私の周りでも素晴らしい話をしてくれる方もいる。でもそれは、「その人が素晴らしい」のであって「年上が素晴らしい」わけではない。

爺さんになっても犯罪を犯す人はいるし、おじさんが勘違いで発言することもあれば、小学生が正論を言うこともある。自分の親世代の人間の言葉に重みを感じることも、同年代の人間の意見に感銘を受けることもあるだろう。

全ての意見に耳を傾けるのはいいことかもしれない。だが必ずしもそれを受け入れる必要はない。その善意のアドバイスはあなたの蝕む可能性がある。

大事なのはその言葉が自分にとって大事なのかそうでないのかを見極めることにある。

もし自分に合わなければ「この人はこう思っているんだな」で済ませればいいし、良い意見だと思えば「この点は確かにその通りだ、ちょっと使ってみよう」と受け入れることもできる。

誰かが何かを言っても、それをどう判断するのかはあなたが決めることができる。

年上のアドバイスは無条件に受け入れるべきではない。

あなたにとって重要だと思う意見を受け入れればいい。

そしてその言葉が重要かそうでないかを判断する責任はあなた自身の手にある。

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