情報は受け手側が判断するもの

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あなたは、あるブログにコメントが100件あったとして、その裏に本当に100人の人間がいると思うだろうか?

人が炎上するのが楽しくて仕方がないらしいメディアは、毎日のように「○○さんのブログが炎上しています」とか「○○さんの持論に賛否両論が」といった類のニュースを流している。ネットニュースでもテレビニュースでもそれは変わらない。

1人が100件のコメントをしている現実

平子理沙、震災めぐるブログ炎上が「たったの6人の仕業」だったと明かす ネット原住民の法規制を訴える

こちらの記事では、モデルの平子理沙さんがブログにおいて多くの中傷を受け、そのコメント元のIPアドレスを確認したところたったの6人の仕業だったという事実が記されている。

その内容はただ暴言を吐くだけではなく「私もそう思います」「実は僕も賛成です」などと同じ人間が何人にも成りすましてコメントするというちょっと気色の悪いものだった。

このケースが特別というわけではない。この記事なぜブログは炎上するのか?“嫌いな人が好き”の論理 (1/2) でジャーナリストの上杉隆さんが次のように語っている。

”以前、ブログで靖国問題のことを書いたら炎上してしまいました。3日くらい放置していると、700件以上のコメントが付いていたので、IPアドレスをチェックしてみた。するとコメントしているのはたったの4人”
なんと3日間で寄せられた700件以上のコメントの正体は、たった4人によるものだったという。

見せかけの多数者

これらのケースからも、炎上炎上と騒いではいるが実態はたったの数名の人たちによるものだということがわかる。実際多くの炎上と言われる騒ぎの原因は大体が5人程度の人によるものだと言われている。

今まで疑問に思ったことはないだろうか?なぜたった一人の芸能人やブロガーの一言に100件、1000件といきなりコメントがつくのか。この世の中の多くの人たちは他人のTwitterやブログを一日中チェックしていて、気に入らない表現があったら即座にコメントして正していくような正義感(若干迷惑な)の強い人たちなのだろうかと。私はそうは思わないが。

明らかに社会的に問題になっている問いに対して、多くのコメントが寄せられる場合もあるだろう、そのようなことは当然ある。

だが考えてほしい。一人の芸能人の発言、しかもそれが誰かに損害を与えるわけでも大して過激な発言でもない場合に、あなたはそのブログに張り付いてわざわざ自分のコメントを残すだろうか?

普通の人たちはそこまで暇ではないし、もしその内容が良いなと思っても、あるいは意見が合わないなと思っても相手を自分の考えに沿って相手を正そうとはしない。

この人の考え方面白いなと思えばいいね位するかもしれないし、合わなければさっさと他のページに行く、ネットユーザーの動向はそんなところだろう。

情報を判断するメディアリテラシー

しかしこれが一たびメディアの目に触れると「世論では」とか、こんな話題がネットで「議論になっています」とニュースで言われてしまう。暴言や自作自演を世論とされては困るのだが、残念ながらこう言ったことはよくある。そしてコメンテーターたちがさもそれっぽいことを言って、一つのコンテンツとして消費されていく。

だからと言ってTVメディアが情報に責任を取ったことを見たことがないし、ネット上にある無数の言葉もどこの誰が何回書いたものなのかわからない。テレビやネットに変わることを期待してもいつまでたっても状況は好転しない。そればかりか不正確な情報に踊らされてしまう恐れすらある。
そこで必要とされるのは、私たち情報を受け取る人間のメディアリテラシーなのだ。

この情報は正しいのか
この情報の出どころはどこか
どうしてこれが話題になっているのか
大量に流れてくる情報に対して常に疑問を持ち批判的に見る、
この情報を批判的に取捨選択する力をメディアリテラシ―という。

この能力があれば、例えば、ある社会問題に対して多くのコメントが寄せられているとき

「この理不尽に公的な怒りを持っている人たちは多いだろうし、これだけのコメントが寄せられるのも当然だよな」と捉えたり、

あるブログに誹謗中傷が多く殺到しているときに

「この人を嫌いな人が何回もコメントを書き込んでるんじゃないの?」と捉えることもできる。

表面的な情報を無条件で受け入れるのではなく、あくまで思考の上で情報を見るのだ。

情報というものは常に受け手側が判断するものだ。その情報の正否は発信者ではなく自分が握っていることを忘れないでほしい。

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